俯き加減で歩く。
なんとなくネガティブなイメージですね。
物事がうまくいかない。
悩みが深くて出口がみつからない。
何もやる気が起きない、考えられない、、、。
こういう状態って誰にでもあるでしょ。
だからこそ、アナタにもこういう時間が必要なの。
悩みの原因は人さまざまとしても、苦しんでいるときの心の痛みを知ることは、人として絶対に不可欠なんです。
だから、アナタが俯いて歩くのにも大切な意味があるんですよ。
ここでは人の心の痛みを知ることの意味について考えています。
楽しいところにしか顔をださない人は、俯いて歩くことを拒否しているんだ
オレが勤める会社には楽しいところにしか顔を出さない人がいるんです。
ワイワイガヤガヤ楽しそうな雰囲気を嗅ぎ付けては、割って入るタイプ。
明るくて、社交的でみんなから好かれる性格だから、割って入ってもウエルカムなんです。
楽しくみんなとおしゃべりして、リフレッシュしてモチベーションアップを図る有意義な時間となるんです。
でもオレにはどうにも“うわついている感”が感じられて仕方ないんです。
楽しい事は悪い事じゃないし、人生は楽しむためにある、を地で行っているのがビンビン伝わってくる。
でも、なんか違うんです、、、。
そういう明るいタイプだから遊び仲間は沢山いる。旅行や飲み会、コンパにもちょくちょく誘われては楽しい時間を過ごす。
でも悩み事の相談になると、からっきしダメみたいなんです。
「そんな事でクヨクヨしていてしていても仕方ないじゃい。飲んでパット忘れて明るくいこうよ」とか「悩み事なんてさあ、後で振り返ると、たいてい大した問題じゃないんだからうじうじ気にしたって時間の無駄だよ」みたいにかわされちゃう。
他人の辛い状況や心の痛みに共感できない人なんです。
悩んだことのない人は、人の痛みに共感できない
明るく前向きに、をモットーに生きるのも一つの道ではある。
でもネガティブな局面(いい事が何にもないとか、失敗続きとか、失恋したとか、、、)をそのまま受け止める事も大切なんです。
跳ね返さずに、真正面から受け止めるのも。
すると、辛いとか苦しいとか悲しいとかの感情だけが高まっていって、何も考えられない状態になるでしょ。
ただ逆境に耐えているという辛い心境です。
そんな頭が真っ白な状態でも、潜在意識は問題を取り込んで答えを模索しているんです。
顕在意識が真っ白な時間帯も実は必要なんです。
それを通過できたら、だんだんと思考力が戻ってくるの。
なにが悪かったのか、いつのタイミングで失敗したのか、それは本当に自分の判断だったのか、それとも何も考えずに流された結果だったのか。
顕在意識が動き出したといことは、潜在意識がある答えに辿りついたということなの。それが少しずつ分かってきて、頭で理解できると自分から行動を起こすようになるんです。
無理にネガティブをはねのけて、考えないようにする必要なんてないんです。
苦しいところを耐え忍んで、立ち直るという経験をすると、自分の内側の力を信じられるようになるんです。
潜在能力を信じられるようになるんです。
それと同時に、同じような困難にぶち当った人の気持ちも理解できるようになるし、潜在意識の力を伝えることができるようになるんです。
そう病的思考と悲劇のヒロイン
極論的だと言われると反論しようもないけど、たまには俯いて歩くくらいが人間としてバランスが取れているんです。
プライベートや仕事で問題があっても、真正面に向かい合うのを拒絶して、そんな些細な事“河童の屁だ”といきがって見せる先に自滅が隠れているように感じるの。
自分自身の弱い面を直視するのを恐れて、何でもないように強がっているうちに、途方もなく深く暗い落とし穴にズボッをハマり込むのではないかと、そっちの方がむしろ怖いわけです。
疲れたときは疲れたと言った方がいいし、悩んでいるときは誰かに相談した方が健全なんです。
人によってはメンタルの強弱を見せたがらないけれど、度が過ぎると心の歯車に歪みがでてくる。
落ち込む時は落ち込んだ方がバランス的にいいんです。
ヒガミ根性とか、あまりの理不尽さに耐えきれなくなって、”どうせ自分なんて、、。“っていう悲劇のヒロイン的な心情に味をしめてしまうのも怖いわけです。
人間は苦痛に耐えきれなくなったときに死を避けるために狂気を選択すると言います。
自分勝手な自己中心的な心の保ち方のひとつに悲劇のヒロインがあって、自分自身をかわいそうがるところに気持ち良さを感じた瞬間に、そこに引き込まれるんです。
幸の薄さとか、報われない日陰の存在をポジティブにとらえるようになった瞬間が、悲劇のヒロイン化したタイミングなんです。
ちまたでは、“かまってちゃん”と呼ばれるキモイ存在なわけですね。
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