言葉によるイメージ|筋を通すと言うけれど渡世人に自己投影する弱さが隠されている

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筋を通さないと気持ちが悪いと感じる人がいます。

たとえ敵だとしても、卑怯な手段で倒すのは、この俺のプライドが許さない、と。

宣戦布告をして、敵にも戦いの準備を整えさせてから対戦する。

 

こんなふうに堅苦しく生きる人の根底には“真正直”が横たわっていて、それを破ってまで勝利しょうとは思わないんです。

 

今の世の中で、この真正直はメリットなのかデメリットなのか。

ここでは、筋を通して生きる事の是非について解説します。

 

筋を通す、のイメージは男らしくてなかなかヨロシ

 

“筋を通す”から想像できるのは男らしさとか、偽善がない、とかで良いイメージ。

誤解のないよう相手の理解を得ておきましょう、というもの。

 

でも、やたら“筋を通す”とか“仁義をきる”とかいきがった物言いをする人には渡世人に通じるクセがあるの。

恐らく、反社会的な雰囲気に憧れていて、言葉使いだけでもいいから自分をそこに投影したいと考えているのでしょう。

 

厳しい上下関係と、柔軟性に欠けた視野狭窄のガチガチな雰囲気が宿っていて、

「人生、少々の誤解はつきもので、後で説明すればわかってもらえるさ」みたいな臨機応変さは許さないんです。

 

任侠の世界が大好きなんでしょうね。

筋を通せと言われると不安を感じるのは言葉によるイメージが原因

 

「後で説明すれば分かってもらえるけど、説明する前に相手から疑いをかけられたらどうするの?」っていう事態が脳裏をよぎる。

 

渡世人の世界では、言い訳は許されないでしょうね。

「指摘されて初めて説明するなんて、許されると思っているのか」って。

だから筋を通せと迫る人との付き合いでは、清廉潔白をモットーにしていないとやっていけないんです。

疑われる余地など残しておいては、事が厄介になる一方なんです。

 

自分勝手に生きるつもりは毛頭ないけれど、過ちは人間にはつきものでしょ。

筋を通せと言われたとき、なぜか不安を感じるのは、過ちへの処罰なんです。

“落とし前”みたいなヤクザっぽさがチラつくんです。

 

弱さが透けて見える

 

“筋を通す”や“仁義を切る”や“落とし前”を連発する人と長いこと付き合っていると、彼らが懸命に裏社会の雰囲気を醸そうしているいじらしさを感じるの。

 

最初は自分でもなぜ不安を感じるのかわからなかったんです。

でも、徐々に「こりゃ、口だけだな」と感ずくにしたがって、彼らの弱さが透けて見えてきたんです。

 

端々の言葉使いで威圧しようという作戦だというのが見えてきたんです。

まともなサラリーマンの社会で乱暴な言葉使いは認められないでしょ。それどころか、パワハラやモラハラで問題視されるリスクもある。

処罰の対象にもなりかねない。

 

だから、ギリギリセーフのセリフとして裏社会に通じる言葉を散らすのが有効だったんです。

この人達と下手にもめると、きっと痛い目にあう、という間接的なアピールです。

 

 

イメージで勝負する方法って

 

言葉使いでイメージを作る事ができるんです。

前述の渡世人の世界もしかり。

 

言葉に横文字を頻繁に入れたがる人がいますね。

ルー大柴さんみたいな感じね。

「もしや、アメリカ帰り?」みたいに感じるでしょ。

でも、本当は英語なんか話せないとバレた瞬間に、痛々しさにつつまれる。

張りぼて感が前面に押し出されてくるの。

ある種のハッタリでもあるんです。

 

横文字を混ぜないでも、話の端々に「アメリカではね、、、」って、米国での慣習を取り込むと、向こうに住んでいたことがあるんだなあって思わせる事ができる。

で、「アメリカに住まわれていたんですか?」なんて質問されたら、「まあ、学生の頃ですけどね、、、」なんて適当に答えると、アメリカの大学を卒業したのかと想像させることができる。

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