女々しく悩み続ける優しくていい奴|優柔不断な方が結婚したあと好き勝手できていいじゃん

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何度も何度も同じ事をぐちゅぐちゅとぼやいたり、嘆いたり、ため息をついたり。

近くにいるみんながうんざりしてくるんです。

「あーなんて女々しいんだ」と。

で、興味本位でどうしたのか聞いてみたんです。

 

仕事の打ち合わせ日程が変更になって、幼稚園にかよう娘の運動会と重なってしまったとの事。

仕事を優先させるべきか、運動会に湯行くべきかをずっと悩んでいるの。

 「そういうときは、仕事の打ち合わせ日程の変更の連絡を受けた瞬間に、間髪入れずに断らないとダメ。時間が経てばたつほど断りづらくなるでしょ」

「でも、相手にも事情があるのかと思って、、、」

そうなんです、ぐちゅぐちゅと女々しく悩む奴って、いい奴が多いんです。

 

ここでは女々しく悩む心優しい人について解説しています。

女々しいいとか好き勝手いってんじゃナイヨ、そこのねーちゃん

 

女はさあ、グイグイ引っ張ってくれる男がいいとか言いながら自由も求めるでしょ

男に決めて欲しいとかって言いながら、自分で決めたがるじゃない

そんなに勝手に進められても困る、とか、息が詰まっちゃう、とか言うでしょ。

“女は優柔不断な男は嫌いなの!“とか抜かしているねーちゃん、好き勝手いってんじゃナイヨ。

 

100%とは言わないけど、半分は女々しい男でいてくれた方が、絶対に喧嘩になららないの。

 

いまどき“三歩さがって師の影を踏まず“みたいに古き良き時代の奥ゆかしい女の人は少ないでしょ。自己主張もするし、やりたい事は率先してやる、酒も飲むしタバコも吸うじゃん。

 

だから男が何でもリードして決めてしまったら、だんだん閉塞感を覚えるようになるんです。

すなわち、優柔不断は男から女に対する思いやりと思えば、それでヨロシ。

 

だいたいね、結婚したあとの夫婦の力関係を見ればわかるじゃない。女房の手のひらで亭主が転がされているくらいでちょうどいいの。

亭主に決断力を求める女房なんて見たことないでしょ。

 

何も命令せず、給料を月々運んできて、女房の指示どおりに動く亭主が一番なんだからさ。

 

自分第一主義なら女々しくならない

 

 自分の中で優先順位がしつかり決まっている人は悩まないんです。

前述の例でも、自分第一主義なら幼稚園の運動会を瞬間的に選ぶでしよ。でも、その時々の重要性を考えて決めていく人は相手の都合をいったん受け止めてしまうんです。

ね、優しいでしょ。

口では“日程変更できるかどうか検討してみます、ハイ”と変更の可能性をほのめかしただけだけど、その後で、相手に期待を持たせちゃったなあ、と気がかりになり始めるの。

性格が優しいからここで悩んでしまうんです。

 

一方で幼稚園の運動会会場の場所取りや、ビデオ撮影を自分以外に誰がやるかが気がかりになる。

奥さんの顔が頭に浮かんでくるの。

まさに、身体が二つあったら、の状態でどうにもならなくなってくるんです。

 

そうこうしているうちに、煮え切らない自分が悪かったのだと自己嫌悪に陥ってしまう。

女々しい?

いやいや、あー可哀そう、、、。

 

そんなつもりで言ったんじゃないのに

 

 自分の言った事が独り歩きしていつの間にか真意が歪曲してしまうことがありますね。

犯罪行為とか事件性があるとマズイけど、取るに足らないことだったら何かのついでに訂正すればいい。

 

ところが勘違いされたままが、どうしても耐えられない性格の人がいるの。

「そんなつもりで言ったんじゃないのに」と会う人、会う人に言って回る。

 

自分が言った事が、別の意味で伝わってしまった。

もしかしたら、それを聞いた人は今頃、自分のことを誤解しているに違いない、と妙な推測や妄想がミックスして膨らんでいくんです。

 

「たとえ違った意味で伝わったって、たいした事じゃないよ。取るに足らない事だから大丈夫だから」となだめても、すぐにまた振り出しに戻ってしまうんです。

自分が原因で、人に嫌な思いをさせるのが嫌で、耐えられないんです。

 

優柔不断と非難を浴びるけれど

 

女性から見て、女々しい男、イコール優柔不断との事。

手厳しい非難です。

 

グイグイ引っ張ってくれる男よりも、横に並んで歩いてくれる男が好き、って女の人もいるけれど、物事決められないのはどうもいただけないらしい。

Webで見る限り結構、けちょんけちょんに言われてるね。

 

“いいじゃん、可愛くて”って思ってはくれないんです。

 

何かの本に、お坊さんの言葉として載っていました。

「どうでもいい事だから迷う。本当に大切な事だったら、悩む余地などない」と。

 

少しだけ解説をすると、フランス料理を食べるかイタリアンを食べるかを決められないのは、どっちを食べてもいいからだという理屈です。

どっちも美味しいし、値段的にも両方とも許容範囲ってこと。

つまり、どちらでも問題ない広い心の持ち主というわけです。

 優柔不断なのではなく、心が広いということなんです。

偏見、決めつけのない、バイアスのかかっていない清い心の持ち主ということなんです。

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