年齢とともに世間から必要とされなくなった時、孤独感と寂しさを感じます。
これには周囲の気遣いが必要なんです。
いままでの功績を忘れてはいけないですね。
でも、10代、20代、30代くらいで孤独を感じる人もいるの。
友達ができないとか、自分の居場所がない、と。
こんな時、自分が生きてきた過去を振り返ってみますね。
そして意を決して新たな行動にでる。
ここでは、孤独を紛らわせる為に起こしがちな行動について解説していきます。
必要とされるために出る行動とは
人から必要とされるために最も分かりやすいのがボランティア活動です。ここ数年の自然災害では、ボランティア活動が被害者らを救う大きな力になっています。
少しでも世の中の為になりたいと参加する人が増えてきています。
ここで一歩間違えると大変な事になる。
人助けって、困っている人がハッピーになれば、そこで終了でしょ。
問題が解決すれば、それで丸くおさまったって事になる。
でも、必要とされる為に人助けに走る人は、問題が無くなっちゃうと登場の機会を失ってしまうんです。
誰かが、どこかで苦しんでいてくれないとダメなの。
だから心の底では、問題が起きてくれることを望むという精神の傾きがでてくる。
東奔西走しながら、助けを求めている人を探すんです。
そして、いい人の仮面を被ってどこまでも人助けの自転車操業にのめり込んでいくんです。
ボランティア活動を通して仲間を作ろうとします。
ヘトヘトに疲れ果てながらも、人助けの手を緩めようとしない熱血感が異常性を醸すの。
助けを求める人と、ボランティア側の人とでは温度差があるでしょ。
あくまでも無償の人助けなのだから、限度がある。
自分の全てを捧げるわけにはいかないんです。
にもかかわらず、必要とされるのを目的とした人はたとえ全てを失っても、人助けを優先しなければ生きていけないんです。
必要とされる珍しい存在
珍しい存在になって価値を認めてもらおうとする人もいますね。
お笑い芸人のような明るいキャラで周囲に笑いを提供する役どころなんかが一例です。
そのキャラクターが本物なら問題ない。でも、孤独に苦しんでいた人が考え出した策となると無理がでてくる。
明るくて笑いを提供するなんてできないでしょ。
で、結局落ち着くところが“天然キャラ”です。
すっとぼけていて、予測不能・荒唐無稽な発言で場を沸かせるの。
でも、それら全てが計算から成り立っている。
そそっかしいふりをして、転んでみせたり、怪我をして頭を掻いてみせる。
言動全てが普通の人と違っていて、どこか痛々しい雰囲気が滲んでくると、そこが賞味期限なんです。
いっとき“天然”というキャラクターがもてはやされた。若い女性のチャーミングな一面として、天然が幅を生かせたんです。
可愛い顔して、意外にも天然なです、と。
ところがその天然キャラが、ここ数年で『発達障害』へと置き換えられてしまったんです。
「えっ、そんな事もわからないの?あんたさあ、発達障害なんじゃない」って。
天然はもはや使いづらいキャラなんです。
必要とされようと自作自演に走る者
ボランティア活動に走る者は問題が無くなった途端にガックリと肩を落とす。
やるべき事が起きるまで待たなければならないの。
でも、もう一歩踏み込んで自作自演にのめり込む者がでてくるんです。
問題を起こして、見事に解決してみせる、という作戦です。
虐め問題で登校拒否に陥った生徒を救う。
虐めの主犯格に謝罪させて、もう二度とやらないと誓わせるくらい朝飯前なんです。
本来、知るはずのない事を知っていると、自作自演の色が濃くなってくる。
友達ができないのには独特の圧力が関係している
本心を隠して周りに合わせていても、独特の圧力がでているんです。
隙を見せまいと構えていて、心を開かない閉塞感が宿っているの。友人を一定の距離までしか寄せ付けないんです。
自分ではうち解けているつもりでいても、自分は自分という独立志向から抜け出せないんです。
この独立志向が悪いわけじゃなくて、個の価値観が強いということなの。
必要とされないから孤独なわけじゃなくて、自分で問題定義して自分で考えて解決するタイプなんです。
基本的にたいていの事は個人で対応するのが好きだし、得意だからなです。
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