自殺の道を選択させちゃいけない|腹をくくった人間は価値観が逆転する

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「過労や事業の失敗で絶望した」とか「いじめや人間関係の問題で居場所を失った」等々で、自殺の道を選択してしまう人が後を絶ちません。

もちろん、本人にとっては容易な決断ではなかつたはず。

生き延びる手立てを試行錯誤し、周囲にも救いの手を求めたに違いないんです。

にもかかわらず、最後の最後には自ら命を断って人生の幕を閉じることにした。

そこには、ひとたび自殺すると腹をくくった人間ならではの価値観の逆転が存在しているんです。

ここでは自殺の道を選択した人間の逆転した価値観について診てゆきます。

 

腹をくくった人間の価値観の逆転

 

この世への未練がないわけではないんです。

幸せだった頃の仲間や、育ててくれた両親、妻や彼女への愛は色あせていないんです。

自殺すると腹をくくった人間は、死んですべてをゼロクリアーするほうが、延命のいかなる手段よりも清々しいんです。

死んで人生の舞台から降りると決めた時点で、価値観は奇妙に逆転してしまっているの。

 

過労を軽減するための業務効率化や、アウトソーシングに再び取り組むくらいなら、いっそ死んで終わりにしてしまいたいと感じるようになるんです。

事業に失敗して民事再生法で復活にかけたものの、資金を貸してくれる銀行と上手くいかない。もう、これ以上頭を下げて回るくらいなら、最後の金を全て使い切ったビルの屋上から飛び降りた方がマシだと。

自殺の選択をさせてはいけない

 

自殺を決めた時点で、面倒な世界に戻るのに強烈な嫌悪をいだきだすんです。

現状把握や、問題の深堀をして、また同じような説明を関係者にして回るなど考えただけでもウンザリなんです。

 

いじめに合った原因を胸に手を当てて考えたって、これといった特別な理由なんてないんです。たまたま自分が運悪く標的にされただけの事。そこに幾人もの級友や、見て見ぬふりをする教師が遠巻きに事態を眺めているような構図なんです。

無責任な教師だと責める気にならないのは、彼らにも過労のストレスが重くのしかかっているから。

だからこそ、絡まった糸を粘り強く解きほぐしたとしても、必ずいじめの解決に結びつくとは限らないんです。

それなら、このいじめ問題は解決不可能としたほうがよっぽどあとくされないんだ、と思ってしまうわけなんです。

 

輪廻転生で、また一から始められるかもしれないし、一か八かそれにかけてみよう。

ノートには恨みつらみをびっしりと書き残して死んでしまおう。

 

引きこもって何か月間も外の様子を見て過ごすなんてゴメンだし、転校してまた初めから友達を作るなんて耐えられない。

登校拒否や引きこもりで勉強が遅れて留年するのもゴメンこうむりたい。

 

まともな判断力を有していれば、少々面倒なハードルがあっても乗り越えられる。地道に対応していけば、いずれ元の状態に戻れると気持ちは上向くかもしれないんです。

 

でも、一度死を選択してしまった者にとっては、ゲンナリするような重荷には耐えられないんです。

 

死んでも何の解決にもならない

 

「死んでも何の解決にもならない」とはよく耳にするセリフです。

確かに何ひとつとして解決などしていない。

 

人類の進歩という意味からすれば、何も変わっていない。

同じ問題が、いつかどこかでまた起きるに違いないし、その時に打つ手も、今と同じないままなんです。

ただ渦中の本人だけは死んでしまえば、今の窮境からからは解放される。

一瞬、痛みを伴うかももしれないけど、あとは無に帰するだけだ、と。

 

アフリカのどこかに投獄さえると、すぐに自殺する部族がいるというのを思い出しました。

敵対部族との争いで、捉えられてしまうとすぐに死を選択してしまう。

自力で逃亡を図るとか、誰か助けに来てくれるのを待つとかの発想が全くないんです。

もう生きていても仕方ないと即決してしまうらしいの。

 

それと同じ思考へとのめり込むのが、自殺を決めた人たちなんです。

悩みぬいた末であるにせよ。自殺すると腹をくくってしまうと、命の尊さと面倒臭ささの価値観が逆転してしまうのです。

死に物狂いでガンバルのと、特攻隊のように死を前提に物事に対峙するのとでは全く別の思考が働いているんです。

生きるために再び立ち上がって問題の芽をひとつひとつ摘んで、慣れない環境に身を置きながら精神をすり減らして前へ進むよりも、現状維持の延長として死んでしまおうとするんです。

だから死の選択はとても危険なのです。

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