人間は誰でも失敗するもの。
「緊張しまくり」とか「また、やっちゃった」とか「初めてだから仕方ないか」と、理由も言い訳も人さまざまです。
人間らしさを感じてホッとする瞬間でもあるのです。
ここでは失敗がメンタルにもたらすインパクトをさまざまか角度から考えてみます。
成功よりも失敗の方がずっと確率が高いんだ
成功の積み重ねで人は自信を得るものですね。コツコツと小さな成功を繰り返して、自分自身に信頼感が持てる。
でも絶対的に失敗の確率が高い挑戦を続ける人もいます。成功する確率なんて1%以下。
最先端の科学実験とか、新薬の発明とか、極刑囚の冤罪の証明とか、難しいことは山ほどある。
これって辛いですよね。
自分を相手にした挑戦や、自分でたてた目標の達成なら、小刻みにチェックポイントをたててうまい具合に進めて行けば成功体験を重ねることはできるんです。
でも、世界レベルの発明とか、発見ともなるとチャレンジそのものが難題ですから、甘いことは一切言っていられないの。
だから、失敗慣れなんてザラで、ニコニコ笑いながら“また、やっちゃった”と妙な余裕を見せる者がいれば、”あと少しだったのに!“とただならぬ気迫をあらわにする者もいます。
そうなってくると、いままでの固定観念を一新して失敗の確率が高い挑戦は消去法でせめるしかないと攻略方法を変えるしかない。
失敗そのものが成功模索なんだと切り替えないとやっていられない。
失敗すればするほど成功に近づくのだと思いを切り替えないと神経に異常をきたすんです。
だから『失敗は成功の基』を腹に据えて踏ん張るんです。すると失敗がボディーブローみたいに徐々に効いてきて、それでも強靭な精神力で踏ん張る奴が最後に微笑む。メンタルが明暗を分けるわけです。
そんな局面で脳裏に浮かうのは;
- 成功なんて雲をつかむようなものさ
- 失敗の数だけ成功に近づいているんだ
- 失敗の中から何かヒントをつかもうじやないか
こんなところでしょう。
失敗をバネにしてジャンプしろ
“あの失敗があったからこそ今の自分がある”って成功者のセリフですね。
過去が今に繋がっていて、更に未来へ伸びていく。あの時があったから、今があるなんて当たり前でしょ、と負け犬の遠吠えのように吐き捨てる人もでてくる。
でも、その通りなんです。過去と現在と未来は繋がっているの。何もしなくたって歳は取るし、今はすぐに過去になる。
だからこそ、強引に過去と未来を繋げたいんです
すなわち、失敗したら、その失敗の特徴をがっちりと掴んでおくのです。
「なぜ、失敗したのか?」みたいな優等生的な発想じゃなくていい。「どうすれば失敗しなかったのか」がなんていう自分への問いかけは10年早くて、成功にはまだまだ距離がある段階でも構わないから、失敗の手応えを感じておくのが大切なんです。
失敗をそのまま捨ててしまわないという事。
「何をすれば」とか「何をしなければ」なんていう微調整じゃなくていいの。
どんな失敗ぶりだった、から目を逸らさない。
そこからヒントを得て、大胆な一手へと変貌を遂げるわけ。これこそが失敗を武器にするという事なの。
あの失敗さえなければ今頃オレは
失敗して腐る人もいますね。嫌になっちゃうんですよね。
いいとところまで行ったのに、直前でズッコケちゃうと。
成功直前までの道のりが険しければ険しいほど、結果が天国と地獄を分ける。
もう一度チャレンジするには険しすぎる道が目の前に横たわっている。
4年後のオリンピックを目指すくらいキツいの。
でも、ここで諦めると一生後悔に付きまとわれそうな気がする。で、考えるんです。
やるか、やめるか。
もう一度チャレンジしたからって成功するとは限らない。
こうなってくると、行くも地獄、戻るも地獄の雰囲気になってくる。人間にとっては辛い選択ですね。
メンタルついこの前の失敗で弱っているから、発想そのものが後ろ向きになっている。
こういう長丁場の勝負には、これまでの自分自身に関する記録や日記がとても役に立つんですよ。前回の勝負のときの準備期間に何を考えて日々前に進んでいったのかを読み返すことで甦ってきます。すると、案外辛いことばっかりじゃなかったと過去を振り返れる。同時に改善できる部分も見えてくるんです。
よし、これなら成功の確率を上げる事ができるじゃないか、と気付けるの。もうひと工夫で上に行けるって過去と現在を対比させて自分の成長を感じることができるんです。
人間って、知らないうちに成長していて、自分では気づかない事が多いの。
だから、モチベーションが上向いて視界が良好になったのを確信できたら、もうワンチャン狙えばいいじゃないですか。
【広告】
関連記事
【広告】