ある程度の人を敵に回すとしても、言わなきゃならない時があります。少しでも誤解されないようにと、補足ばかり加えていると結局何が言いたいのかわからなくなるの。
どうせ始めから聞く耳を持たない奴は、こっちのアラ探しばかりしている。だったら、言いたい事を誤解を恐れずに言い切ればいいんです。
真実は徐々に露呈していく、程度に考えておけばいい。
そんな世の中で味方につける人材を選択して生き残りをかけるしかないんです。
ここでは、言いたい事をど真ん中に投げ込む意義と、そんな生き方をするときに味方に着けるべき人材について解説しています。
誤解を恐れるから言い訳がましくなる
主張や反論をするとき、誤解を恐れると言い訳がましくなって、迫力に欠ける。ちょっとくらい誤解されるくらいでちょうどいいんですよ。
修飾語がどこにかかるか、とか、何を形容しているのかが曖昧とか考えていると、いつのまにか法律の条文みたいになっていって、結局なにが言いたいのかが分からなくなるの。
作家の大江健三郎さんが、読者にわかりやすく書こうとすればするほど難解な文章になっちゃうってインタビュー番組で言っていたのを思い出します。
上記のとおり、修飾語や形容がどこにかかるかを明確にするうちに、文章が長くなって、主語が何だったのかがぼやけてくるの。
まずは言いたい事をズドンとど真ん中に投げ込む。
すると、それに対してごちゃごちゃ不満げに言う奴が出てくるわけです。いちいち対応せずに、次に言いたいことを、またズドンと言う。
「それじゃあ質問に対する回答になっていないじゃないか!」とこめかみに青筋を立てる奴が怒鳴り声を上げるの。
「別に質問に答えるなんていってないでしょ。人の話を最後まで聞かずに質問してくるマナーの悪さをまずは反省しろ」と言い返せばいい。
ひねくれ者は何を言ってもアゲ足をとろうとする
ひねくれ者っていうと、裏社会の怖いお兄さんとかのイメージかもしれませんね。
でも周りを見回すと幾らでもいるの。
テレビで国会答弁を見てください。与党と野党の言い合いはひねくれ者どうしの口喧嘩としか思えないでしょ。
奴らは相手の言っている事をまともに聞く気なんか全然無いの。どこでアゲ足を取ってやろうかと虎視眈々と相手の言動を見ているんです。
国を良くしてくれると思って選んだ代議士が、ただ敵の失言にだけねちっこく食いつくの。
聞く気のない奴に何を言っても響かないんです。
逆に、何を言おうとしているのかと耳を傾けてくれる人には、少しくらい言葉足らずだったとしても伝わります。
断片的な表現でも、点と点をつなげてくれるの。
真実は露呈していきます。
陰では大口叩いても正面きって何もできない小物は無視
どこにでも居るでしょ、陰では大きな口叩いておいて、本番になると借りてきた猫みたいにおとなしい奴。
こういうのは味方に着けても役に立たないから切り捨てる。
一人じゃ何もできない奴も結構多いですね。
鉄道クラブとかで5,6人がかたまっているのはいいんです。彼らの楽しみ方で誰にも迷惑かけていないのだから。
チンピラみたいな小ワルが集まって、わざと傍若無人な言動でイキガッテいるのは、たいてい一人になると何もできないの。
こういうタイプも役に立たないから不要。
味方にすべき人材とは
味方にすべきは当事者になるのを恐れない人材。
陰では大口叩けても、本番だと何も言えないのはダメでしょ。ヤバイ局面でも、当事者になって問題と直面できなきゃ意味はないの。
危険察知能力の高い奴がいて、ヤバイ波がきそうになると上手くはぐらかしながら波の到達前に雲隠れする。
暫くじっとしていて自分が問題には関わっていない状態を作り上げる。そして渦中から外れるのに成功した途端に、外野からヤジを飛ばすタイプね。
騒ぎが大好きだけど、直接的には関わりたくない。被害のリスクが全くない状態で、外から好き勝手ことを言っている評論家気質は味方にしても全く役に立たないんです。
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