芸能人が人目を避けるためにツバの長いキャップやサングラス姿で外出しますね。ときには伊達マスクまでも着用。
素人考えだけど、“あの姿って、逆に目立っちゃうんじゃない?”って思っちゃう。
あれはあれで“今日はオフですよ。だからサインも握手もできませんから、ご了解ください”みたいな抑止効果はあるかとも感じる。
でも、あの三点セットには少しヤバイ依存性があるんです。ドラック、酒、ギャンブルと同じように。
ここでは心地よさがもたらす依存性について解き明かしていきたいと思います。
重厚な守られ感がもたらす依存性
帽子、サングラス、伊達マスクの三点セットって周囲の目から逃れる以外に、安心感があるの。
頑強な鎧をまとったみたいな重厚な安心感があって、そこに溺れると依存症になる。
もともとの趣旨どおりに、“今日はオフで家族と一緒なので構わないでください“で留めておければ問題はない。それをキャップとサングラスに、マスクまで装着しちゃうと、守られている安心感と変身完了みたいな妙なエネルギーがみなぎってくる。
この瞬間に脳内でドーパミンが分泌されたら、完全に依存症に陥るんです。
もう、三点セットなしでは決して外を歩けない状態になるんですよ。
ヤバイでしょ。
子供の守られ感との決定的な違い
この話をすると、決まって幼児を引き合いに出して、反論する人がいます。
赤ちゃんは親に甘えて、守られて、安心する。それでも、親から離れていくのだから“守られ感に依存性はない”って主張してくるの。
でも、ここが人間の心の成長過程の面白いとところなんです。
赤ちゃんや、幼児(小学校3年、4年くらいまで)は親の愛情を充分に受ける事で情緒が安定してくるんです。
何もできない無力感から、親が自分を守ってくれると感じて安心できる。
それが、小学校高学年に進むにつれて、自分でもできる事が少しずつ増えるでしょ。最初は親が手伝ってくれていたものが自分だけでもできるから、自分の力を試したいという気持に切り替わる。
そこに自我が芽生えてきて、ああだこうだと指示をする親がうっとおしくなるんです。
これが反抗期で、この時に自分は自分、親は親という区別がつく。でも、親から充分な愛情を注がれたからこそ、反抗できるんです。
親を100%信頼しているからこそ、自信をもって反抗できるの。
愛情を注がれずに育った子供はいつまでたっても、親からの愛情を求めて親にわりつかずにはいられない。
だから一個人が出来上がる大前提が親からの愛で、それがあってこその自我の芽生えなんです。
前述の三点セットによる安心感とは根本的に違っている。
怖くて人前に顔をさらせない
“顔を隠して外を歩くのに慣れるから、顔を覆わずにはいられなくなる“という解釈ではないんです。
むしろ、最初は顔を隠す快楽にハマっちゃうという感覚なんです。
微妙でわかりづらいでしょ。
アルコール依存症を例に説明しますね。
アルコール依存症の人の定義で、1日に何杯ビールを飲んだらアルコール依存なんですか?と質問してくる人がいる。
これには回答はないんです。
あえて回答するとしたら、酒の強さの個人差によって異なりますが、泥酔して意識が飛ぶまで飲み続けるのがアルコール依存症なの。
そのメカニズムは、酒を頻繁に飲むうちに、あるタイミングで酔いを一緒に脳内でドーパミンが分泌されたんです。
たとえば、気分のいいことがあって楽しく酒を飲んでいたときに、たまたまドーパミンが分泌された。
これってパブロフの犬と同じ状態に人間を追い込むんです。もちろん、たった一回じゃ酒に取りつかれたりはしません。毎夜毎夜酒をあおるうちにドーパミンの分泌が習慣化してしまうんです。
気がつくと、グラス一杯のビールを飲んだ途端に幸福ホルモンに満たされてパッピーな気分になるの。すると、もう一杯、もう一杯と正気を失うまで飲まずにはいられないんです。
顔面を隠すのも、幸福感が下支えしていて、これ明らかにドーパミンの交効果なんです。
顔面を隠す行為
顔面を隠す行為には、 相手に心を読ませまいとする強みがあるんです。
ドギマギした時の慌てた表情、失敗したときのショックに満ちた表情、苦笑い、照れ隠し、愛想笑い、憤慨、、、、。
これらをさらすことなく平然を装く事ができるんです。ポーカーフェイスは相手よりも格段に優位なメンタルを保つことができる。
誰も自分の本心を見抜くことなどできやしない、という強さです。
最初は目立たぬよう顔を隠して外出するのがどこかワクワクした感覚。でもだんだんと、そうせずにはいられなくなるの。
3点セットに慣れてしまうと素の自分で人前にでるのが不安になってくるのです。人と直面してコミュニケーションをとることすら難しくなってくるのです。
対人恐怖症なんかの大きな問題へと発展するリスクが待っているんです。
【広告】
関連記事
【広告】