どうでもいいと開き直る勇気と、何とかしようと踏ん張る精神力

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仏教の教えだったか、一人のお坊さんの言葉だったか忘れたけど、“どうでもいい事だから人は迷う”というフレーズがあるの。

凄く大切な事だったら迷うヒマもなくズバッと即決する。悩んでいるのはどっちでもいいからなんだ、とかいせつされていたんです。

これ、どう思いますか?

なるほど、うまいこと言うなあ、半ば関しつつも、詭弁でしかないでしょ。悩んでいるということは、微妙な差異があるだけで、どちらでもいいのかもしれない。でも、あとから思い起こすと、その微妙な違いが勝負の分かれ目になっていることってたくさんあるんです。

 ここでは詭弁極論で奇をてらうズルい論棒について解説してみたいと思います。

 

アタシと仕事とどっちが大事なの|どうでもいいと開き直って、クルマの右のタイヤと左のタイヤのようなものと答える

 

仕事ばかりしている恋人に彼女がぶつけたひとこと。

「仕事とアタシと、いったいどっちが大事なの!」

テレビドラマなんかで観るベタな場面です。で、男の方は「まさかキミの口からそんなセリフが出てくるとは思ってもみなかった」とドギマギする。

だって両方とも大切だし、と答えに窮するの。

 

でもこれって、問いそのものが間違えていると考える男もいるでしょ。

そもそも仕事と恋人じゃあ次元が違うだろう、と。手抜き仕事をして無責任の烙印を押されてしまえば彼女との交際にだって支障をきたすわけですから。

で、そんな男性は彼女の訴えを真正面から捉えないわけです。で、「キミは自動車のタイヤは右と左のどちらが大切だと思う?」と切り返すのです。

 

どうでもいいと考える彼氏と、何とか踏ん張ろうとする彼女との攻防です。

 

どうでもいいを精神のニュートラル状態ととらえただけの事

 

“どうでもいい”を推奨する方々のご意見を聞かせてもらうと、気持ちが楽になった、解放されたとおっしゃっています。よくよく言い分を噛みしめてみると、なるほどと合点がいくのです。

“どうでもいい”をニュートラルな状態と考えているわけなんです。

無気力とかヤケクソとかの「どうにでもなりやがれ!」じゃあなくて「そういう考え方も有りですね」という賛成・反対もしない中間的立場に立つことなの。

これならみなさんも簡単でしょ。聞き流して、いちいち心の中でコメントしないんです。ね、楽でしょ。

疲れている時とか、忙しい時にニュートラルを使って自分に対して時間を稼ぐ。いずれ賛成・反対のいずれかの立場をとらなければならないとしても、すぐに判断する必要がないですからね。

もし、よく考えてもどっちでもないのなら、それは一つも答えなんです。これって、新しい発想でしよ。

 

無気力やヤケクソを継続すると被害者意識が出てきてしまう

 

自分の話で恐縮ですが、今までは賛成・反対をキッチリ言う方だったんです。はっきりした態度を示すのが良い事だと思っていたの。だから無理もするし、間違った判断をしてしまうこともあったんです。

“どうでもいい”を無気力とかヤケクソと思いこんでいたので、好きじゃなかった。

無気力・ヤケクソの延長線上には被害者意識みたいな陰鬱さが待ち構えているように思えていたからなんです。

「どうせ自分の思い通りになどなりはしない、どうでもいいんだ」のセリフとともにズボッと不幸に呑み込まれると恐れていたんです。

 だから、このニュートラルと言う考え方って優れモノと思いませんか!??

 

何とかしとうと踏ん張ったときのリスクとは

 

事態を打開しようと踏ん張る人のリスクを考えておきましょうね。

踏ん張るとか、頑張るとかは積極的で頼もしく思えるでしょ。実際その通りなんですけど。
でも、どうなに頑張っても結果が伴わないときってあるでしょ。それが危ないんです。

心が折れずに頑張り続けるっていい事でしょ。諦めないで、歯をくいしばって、頑張り続ける。なかなかできる物じゃないですよ。

でもね、ここでの盲点は周りが敵に見えてくるの。

でも頑張り過ぎると、ライバルというよりもむしろ、敵を作り出してしまうんです。上手く行かない自分を正当化するために、敵は悪者で自分が真っ当な人間。

そこから感覚的に少しずつズレが生じてくる。頑張り過ぎちゃうと人が注意すべき点なんです。

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