そんな事じゃ立派な大人になれないぞ、なんていうオヤジにかぎってろくなもんじゃねーんだ

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小生意気な小学生に口答えされて、反射的に「そんな事じゃ立派な大人になれないぞ」なんて反撃する大人がいるでしょ。自分の言動のどこを見られて小学生に揶揄されたのかなんて振り返る余裕もなく、大人ならではのセリフを口走るんですね。

子供の口答えがどれほど無礼なのかにもよるけど、ただ子供に反撃されたのが悔しくて報復する大人は、まさに大人と子供を隔てているポジションパワーを発動したに他ならないの。

  •  子供は黙っていなさい
  • オマエも大人になればわかる
  • 誰のおかげでご飯が食べられているんだ
  • 宿題おえたらさっさと寝なさい

 

こんなセリフで子供よりも優位たったつもりでいる大人たちは愚か者ですよ。

子供のためを思っての指導だってあるにはある。でも大人の立場を利用したポジションパワーのほうが圧倒的に多い。

ここでは大人と子供の間に存在する強弱をロジカルに考えてみたいと思うのです。

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我が子は自分の延長線上にいるという勝手な思い

 

本人の意思を尊重するのが必ずしも当人の為になるとは限りませんね。ましては相手が子供であるなら判断ミスは日常的だろうし、一番よさそうな道へとこどもを導くのは親の役割です。

が、まるで自分の意のままに子供を操作する親は少なくないんです。

英語の先生になるのが子供の頃からの夢だったから、我が子を幼児英会話教室に通わせる親。ピアノ、バイオリン、バレー等々。

あたかも子供が自分の延長線上にいるかのように親としてのもポジションパワーを全開させる。

子供を自分の所有物みたいにとらえている。

 

ポジションパワーが子供の自我を抑え込む

 

習い事というのはタイミングを逃すと辞めづらくなるんです。せっかくここまでガンバってきたのだから、今やめたらもったいない、と。もったいないのは親にとって、それまでつぎ込んだお金のこと。でも実際にはプロのピアニストになる才能など母親同様ないのだから、続けさせるのは母親のエゴでしかないんですよ。

子供にしてみれば、どうせ自分には才能がないと分かっているんだから、自由に友達と遊んでいたいわけです。遊ぶべき時間なのにやりたくもないピアノに時間をつかうほうがよっぽどもったいない、と子供は思っている。

 

親のポジションパワーが強くない家庭なら、あっさりとピアノなんか辞めたいんだと口にだすものなんです。でも、言い出せない親子間の力のバランスがあるケースも珍しくない。

これが思春期まで継続したとき子供の自我を押しつぶしてしまうのですね。

 

教師と生徒の関係をみてみると

 

教師と生徒の関係にも大人と子供のポジションパワーがあたりまえのように隠れています。怖いのが教師はいつでも正しいとうい先入観です。

生徒が先生に叱られたとき「どんな悪い事をしたの?なぜ先生の言うことが聞けないの?」という具合に生徒が責められるんですよね。

学校は学力をつけるためだけにあるのではない、と道徳的な観念が根付いています。それ事態は悪くないけど、日本はすごくウエットで、先生が生徒に刷り込むみたいな雰囲気でしょ。

道徳的にも教師の方が生徒よりも勝っていると決めつけてる。

教師は神父でも僧侶でもないのにね。

どれだけ人間的に優れているかなんて、学歴じゃ絶対判断できないし、年上だからというのもおかしい。

ただ子供(せいぜい中学生)よりは一般常識には勝っていて程度でしょ。

生徒に反抗されてすぐにブチ切れるような教師とか、女子小学生を性的対象としていやらしい目で見ているキモイ男教師だっている。

それなのに、こまかい事情を端折って、新聞沙汰の事件などすぐに風化させて、先生は正しいともっていく。

 

正しい精神を宿しているなど、上っ面じゃ絶対わからないし、極論言えば死ぬまでわからない。爺さんになってから犯罪に走るかもしれない。

だから生身の人間を手本にしたら裏切られるんですよ。

聖職者なんていったって、一皮むいたら、中身はひどい俗物って事あるからね。そういう奴にかぎって、人前で堂々と、「そんなことじゃ立派な大人になれない」とかいっているんですよ。

 

子供の方がピュアなんだ

ハッキリ言って、大人よりも子供の方が絶対にピユアですからね。それを疑う人はまずいないでしょ。

大人にそれを突きつけると、それだけ社会の荒波にもまれてきているのだから仕方がない、と開き直る。もちろん言いたいことはわかります。キレイごとだけじゃ世の中わたっていかれないのを肌に感じてここまできているのだから。

厳しい現実に耐え、それでも犯罪に手を汚さずにここまで来た大人がいる。でも、腹の中は恨み、妬み、憎しい、恐怖、いろんなものがとぐろを巻いている。

だとしたら「そういう大人って立派なのか?」って話なわけよ。

もし、何をしても罪にはといませんよ、一番に嫌いな人を殺してもいいですよ、と言われたら実行する人いるんじゃない?

 

でも、今の世の中って、頑張って人様を気づ付けず、我慢に我慢を重ねた人を立派というんです。

オレ個人的には、我が子をそんな大人にはしたくない。

どんな大人がいいのか問われても答えられないけど、こんちくしょう、と思いながら眉間に皺を寄せている大人になんてしたくないな。

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