「もう、いいかげんガンバルのをやめたら。普通に幸せつかめばいいじゃない」という言葉(教え)には説得力ありますね。
がんばって、がんばって、ヘトヘトニなって地面に膝ついて肩で息している人(イメージですけど)、もう少し余裕持ちましょうよ。
戦後の高度成長期じゃないんだからさ!
そんなにがむしゃらにならなくても生きていけるんだよ。
頑張ってしまうのはなぜ
とはいえ「がんばらなきゃタイプの人」って目的が少し違っている。
全部が全部ではありませんけど。
ひとことで言うと、幸せになるために頑張っているんじゃなくて、ガンバルことが目的になっているんです。
小さい頃からガンバレ!ガンバレ!って背中を押され続けてきた人です。こういう過去を今も引きづっている。
補足ですけど、小学校の頃の「ガンバレ!」は決して悪いことじゃないんですよ。
だって対象が明確だから、子供は混乱しないんです。
◆テスト
◆なわとび
◆逆上がり
◆感想分の宿題
◆ピアノレッスン
子供にとっては、
ガンバレ ⇒ ちょっと休憩 ⇒ ガンバレ ⇒ 良くできた!
このスパイラルが効果的なんです。
でも成人した今、環境は100倍複雑です。
◆頑張るべきこともたくさんある
◆スルーしてしまえば良いこともたくさんある
◆スルーどころか、近づいたら命とりになりかねないこともたくさんある
こんなにも分かりずらい環境で、子供だった頃のように純粋に全力投球していたら病気になりますね。
ましてや、スルーしてしまった方がいいものもあれば、あえて遠ざけた方が良いことだってあるのです。
それにもかかわらず、片っ端から手をだして、忙しい忙しいと多忙とじゃれあっている。
これ、本人もわかってやっているんですよ。
頑張りが幸せの条件じゃない
◆『もう頑張らないで好きなことすればいいじゃない。自分が楽しいと思える事をすればいいじゃない』
◆『町内会のカラオケ大会があるから一緒にいこうよ!』
◆『バスツアーで美しい景色と美味しい食べ物がパックになってるのがあるの、一緒に行こうよ』
こんなふうにして、遊びに誘うのはいいことですよね。
でも、すぐに大きな問題にぶちあたってしまうのです。
友達と一緒の時は気持ちが晴れるのです。
でも一人になったときが心配なのです。
一人になったとき、またガンバリ癖がぶり返すんです。
遊びに誘ってくれる友人は、ガンバリ屋本人にとっては気晴らし相手の役割なのです。
分かりづらいですね。
ガンバリ屋さんにとってのガンバリ(家事、町内会の寄り合い、公園の掃除当番、,,,etc)はすべて気晴らしなんです。
友達が遊びに誘ってくれるのも、同様に気晴らしなんです。
この気晴らしで時間をつぶしていない状態が彼女にとっては地獄なんです。
ゆったりする、のんびりする、ぼーっとする、これが地獄なんです。
マインドコントロールを解く
「頑張らなきゃ!」と四六時中、自分を鼓舞し続ける人。これって何かに似ているとおもいませんか?
新興宗教です。
もちろん、ガンバリ屋の人たちがカルト宗教に傾倒しているといっているんじゃありませんよ。
そのガンバリ方が、アホ教祖のためにすべてを投げ打って、祈りをささげているように僕にはうつるのです。
弱ったメンタルに付け込んで脅迫観念を植え付けるカルト宗教みたいに映って仕方ないんです。
洗脳というほど暴力的ではなく、心の隙間に付け込むやりかた。
「こうすべきですよ~!」と優しく何度も刷り込んでいく。祈りを積み重ねて徳となる、と信じ込ませる。
ガンバレ、ガンバレと子供を励まして、上手くいったらご褒美を与える、というマインドコントロールです。
そっくりなんです。
子供は小学校6年間、中学校3年間、高校3年間、大学4年間、親の言うとおりに頑張りつづけて、ご褒美をもらい続けたらガンバリが人生の目標になります。
でも中学、高校あたりでほとんどの子供は自我が芽生えてきますね。
反抗期です。
俺には俺のやり方がある!という強い自己主張です。
ここで子供はメンタルバランスを自分側に引き寄せる。
やるか、やらないかは自分の自由。法律を守って、他人に迷惑をかけなければ、どんふうに人生切り進んでいこうが俺の人生だ!と。
ガンバリ屋さんを楽にしてあげるにはガンバル価値を否定してはいけない
子供のころから守り続けてきた価値観を否定されたら死ぬほど辛いでしょ。
心から受け入れることなど絶対にできない。
「頑張りすぎだよ!」と言われた本人が一番ムッとするのです。
笑顔で頷いて、それでもやめられない脅迫観念のような状態なんです。
それなら、どうやって呪縛を解けばいいのでしょうか?
簡単じゃありません、
時間もかかります。
まず、相手のガンバリを認める。
今までのガンバリのおかげで今のあなたがあるのだと、いってあげる。
◆「みんな、あなたのガンバリに感謝しているのですよ」と。
◆「でも、頑張りすぎるのは自分でもつらいでしょ?」と言葉を添えてください。
でもね、一つだけ必ず言わなければならない厳しい事があります。
もうひとつの、ガンバリ過ぎの原因とは?
もうひとつの頑張り過ぎる原因は、自分の目をそらせることなのですよ。
仕事依存症の男性が家庭のゴタゴタから目をそらせたいがために、仕事に打ち込むのと一緒なのです。
仕事をしているときだけは嫌なことを忘れられる、というロジックです。
主婦の方が家事を100%パーフェクトにこなし、町内会の仕事も率先して引き受け、いつもこまめに働いて、人あたりも抜群にいい。
悪口を言う人など誰一人としていないわけです。
で、彼女が目を背けたい事実は『子供がいない』ということなのです。
それを考えるのが辛くてすべてのエネルギーを、他のあらゆることに力を注ぎまくるのです。
この気持ち、よくわかりますよね。
でも、このままだったら一生涯、この奥さんは幸せにはなれません。
こんな例もあります。
受験で第一志望の大学に合格できなかった。彼は2次志望の大学に通いながら必死に法律の勉強をします。
司法試験に合格するためです。
大学では友達も作らず、ひとり図書案で勉強に励むのです。
彼は偉いですよね。一次志望の大学に落ちて、それでも腐らずに努力し続けるわけです。
人間として充分に立派ですよ。
でもここに、前述の主婦と同じように目を背けたい事実があったわけです。
言わなくてもわかりますよね。
受験失敗です。
それから目をそむけるために司法試験の勉強に全力を傾けている。
もし、次の試験で合格できなければ、当然翌年に向けて情熱を傾けるでしょう。もし、次の年にも合格できなければ、その翌年へと。
目をそむけるためにガンバルのは不幸、その解決策とは?
見たくない事実を忘れる為に努力し続けると、泥沼に引き込まれるのです。
自分の意思に正直になるのが怖いから、別のなにかにすべてを捧げる。
「ああ疲れた、コーヒーでも一杯、、、」と思った瞬間に、また思い出したくない事が脳裏に浮かぶわけですよ。
目をそらしたい事実が真正面から、あたなたの顔面を睨み付けてくるのです。
「じゃーどうすりゃいいんだよ、おい戸田!」って事になりますね。
だから俺は遠慮せずに言わせてもらうよ!
「受け止めるしかねーだろう!辛いのはわかってるよ。それでも受け止めて、その上でなにをすかを考えるんだよ」
たとえ、やることが一緒でも〈家事100%パーフェクトにでも、司法試験勉強でも〉、受け止めたうえでやるのと、すべてを忘れようと取り組むのとでは人生かわってくるんだよ。
コーヒーが上手く飲めるんだよ。