自滅に向かって突き進む人。
はたから見てて、何ひとつメリットなどないのです。それでも自滅への歩みを緩める素振りもないのです。
あんたさあ、そのまま行ったら人生ボロボロになるよ、と周囲がヒソヒソ話をしているのに当の本人の耳に届いているのか、いないのか、まったく無反応なのです。
さて、こんな人の心情たるや、いかなるものなのでしょうか?
この原稿では自らの意思で自滅へひた走る人の心情を考えてみます。意外にも、あなた自身が正気を踏み外しているかもしれないのですよ。
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知らぬ間に後戻りできない心情に叩きこまれる
時間やお金をたっぷり費やすと、人間、後戻りできなくなるのです。
「XXX能力開発セミナー」のようなチラシを目にしますね。説明会と称して無料で50名ご招待みたいに人の募集をかけています。
説明会は無料で、そこに嘘はないのです。
説明会で威力を発揮するのは時間です。有意義なセミナーであることをじっくりと時間をかけて言って聞かせるわけです。
日本人は、まず途中でセミナーを退出することはしません。律儀な国民ですから、セミナーの主催者に悪いと思うからですね。
この、断れない性格の日本人(NOといえない日本人)を巧みに操作するわけです。
主催者側は能力開発の導入部の説明に入っていきます。有益そうな情報で、しかも易しすぎない内容。手応えを感じさせなければならないわけです。
もともとの終了の予定時間が過ぎてもすぐにはセミナーを終わらせようとしません。時間をつぎ込ませるのが目的なのです。
「この続きは、第二回目の無料セミナーで」と言って1回目セミナーに参加された人限定で2回目も開催します。2回目のセミナーも無料というのがミソで、かなり手堅く人を囲い込みます。
1回目、2回目と参加させることで、「せっかくだから3回目も試しに行ってみるか」、という気持ちにもっていくわけです。50人いたら50人全員が3回目の有料セミナーに参加するわけはありませんが、三分の一くらいは集まる。
1回目のセミナー3時間、2回目も3時間で合計6時間も時間を割いたのだから、3回目が有料だとしても成果を見極めたいと考える。
これが後戻りできなくさせる手法です。
もし、3回目が成果が見えるか見えないかのギリギリのところで終了するとしたら、4回目に参加する人がいるのは全く不思議ではないのです。
時間とお金を費やさせると、更に後戻りできない気分に持ち込めるという作戦です。
わかっちゃいるけど・「もったいない」が自滅に向かわせる
本当に有意義なセミナーなら3回目以降が有料だったとしても良心的ですね。1回目、2回目が無料なのですから。
でもセミナーにのめり込んで気付くと、「簡単に大きく稼げる商材の売り込み」、「オウム真理教みたいなカルト集団」、「株式やFXの投資戦略の講座紹介」だったりするわけです。
世の中にそんな甘い話が転がっているわけがないと薄々感じつつも、時間とお金をつぎ込んでしまうともったいなくて後戻りできない。これが人間心理です。
わかっちゃいるけどやめられない、というわけです。
「この能力開発セミナーはどこかおかしいぞ!」と思ったら、損失を最小減で食い止めるのが最善策なのに、それを認められない。
損失は最小限に食い止めるべきだ、という思考がどこかに吹き飛んでしまっているのです。
ひとえに、そこまで費やした時間とお金がもったいないと考えるからなのですね。
悪意の有無に関わらず、この戦略に呑まれるケースって少なくないのです。
◆熱心なフィギュアコレクターがシリーズを一通り集めないと気が済まない。8割集めたのだから、無理をしてでも残りの2割も買い揃えないともったいない。
◆全10話の連続ドラマで、8話まで観たけれど興味が薄れてきた。でも結末を知らずにいるのは、ここまで費やした時間が無駄になる。
自ら進んで洗脳されにゆく人がいる
オウム真理教の麻原彰晃は人を魅惑させる才能に長けていました。幸福の科学の大川隆法氏も同様ですね。
でも、洗脳って半分は本人の選択なんです。自ら進んで洗脳されていっているようなものなのです。
たとえば疲労困憊し、さらに誰も味方がいない状態。やることなすこと全て裏目裏目で自身喪失していたとします。
その時に、見知らぬ人が相談にのってくれた。そしてあなたの気持ちを理解し、今は裏目にでている事でもよくよく見れば決して間違っていない。正しいいことをしているのだから自信を持つようにと励ましてくれたとしたらどうでしょうか?
見ず知らずの、その人を信じる事が心地よいのです。あなたを認めてくれた人の言うことが正しいい、と進んで洗脳されに進み出るのです。
これがカルト宗教の手口なんです。
100人の人が認めていないのだから、多分間違った方向に向かっているのです。
でも、その確証はない。
それまで自分が費やした時間とエネルギーを考えると、一人でも賛同してくれる人がいるのだから、と自滅への道を突き進んでしまうのが人間なのです。
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アルコール中毒の娘が、アルコール依存症の男と結婚してしまうのは少なくない
アルコール中毒の父親にさんざん迷惑をかけられてきたにもかかわらず、アルコール依存症の男と結婚してしまう女性の例は少なくないのです。
あんな男と結婚したら一生苦労するよ、と周囲から反対されているにもかかわらず自滅の坂道を駆け下りていくわけです。
なぜなのでしょうか?
◆アルコール依存症の彼氏をまっとうな人間に更生させて初めて、さんざん苦しめられた時間に価値を見い出すことができる。アルコール中毒だった父親の面倒をみた経験をここで生かさずに、どこで役立てるのだと。
◆補足ですが「昼間から酒を飲むのにどこか懐かしさを感じて、抵抗がない」。
普通の感覚からすれば、お酒なんてもうたくさん、となるところですよね。でも、ここが人間の面白いところなのですよ。
昼間から酒を飲んで仕事を休む男に、強い違和感が持てない。だって、そういう父親を幼少の頃からずっと見てきたわけですから。
一方で惨めだった過去の時間を取り戻す手段として、依存症の彼氏の更生を思いつくのです。もしそれができれば、惨めだった過去の時間に価値を持たせることができると考えるわけです。
さもなければ、あの時間は何の意味もない、ただみじめだった時間という位置づけになってしまうから。
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