先入観や偏見差別から心をリセットするべき?
「先入観や偏見をなくすためにはどうすればいいのですか?」という質問を見かけます。
心の清らかな人からのご質問に違いありません。どうしても偏見や先入観にとらわれる心をリセットしたいのでしょう。
先入観を捨てる方法を会得して、固定観念にとらわれやすい自分を、何とか直したいというお気持なのでしょう。
でも、正直言って先入観・偏見ゼロなどありえないですよ。
人間って経験から物事を学ぶじゃないですか。過去からの経験こそが最大の価値なのです。良い点も悪い点もありますが、絶対的に必要です。
今まで見たこともない斬新なアイディアや、聞いたこともない奇抜な発想も必要ですけれど、過去の経験のほうが圧倒的に価値があるのです。
過去の経験から学ぼうと思ったら、ネガティブな思い出もきっちり覚えておくべきなのです。
- 絶対に繰り返してはならないという戦争体験
- 学校でのいじめによる悲惨な結末
- アルコール依存症体やギャンブル依存症み
体験を記憶に留めておくためには、その出来事や事件に関係していた人、季節、流行っていた歌なんかを一つの思い出として心に刻み込むようにできています。
嫌な思い出も忘れない強さが求められる
高校生の頃に大の仲良しだった友達に裏切られた。
人間不信に陥り、そのショックから立ち直るのに1年も、2年もかかった。
その友人と、どことなく似た人を見ると、とても嫌な気持ちになるわけです。
分かりますよね。話し方や身振り手振りが蘇えってきそうです。全くの別人とわかっていても、容姿が似ていれば思い出すのが人間です。
一瞬、身構えますね。
同じ男性を好きになっていたのに、嘘をつかれ出し抜かれたという苦い経験もあるかもしれません。
こういう辛い経験も、否応なく積み重なっていくものです。
頭の中に当時の嫌な思い出が残されて先入観・偏見と呼ばれますね。
でもねえ、普通、ほとんど90%以上の人がこのタイプの人間で、それば普通だと思いますよ。
むしろ、辛かった思い出を敢えて忘れずに胸の奥にしまっておく強さが必要なのです。
理由は簡単。同じような辛い体験をしない為に覚えておくのです。
初対面の人とあったとき、偏見、先入観をいったんあてはめてみたっていいじゃないですか。
最初のうちは、見ず知らずの人なのだから少し身構えるくらいがちょうどいいのですよ。偏見も先入観をもっていて当たり前なのです。
態度や口に出さなきゃ、相手には分からないのだから。
そして、付き合っていくうちに、この人はいい人だ、と思えたらそこから心を許すべきなのです。
これが大人の付き合い方です。も持っていないように振舞えるかどうかが問題。
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先入観の悪い例とは
責任感がやたら強いタイプ
責任感がやたら強い人がいます。
その日に課せられた仕事は必ず、その日に終わらせるべきだと自分に強い責任を課するタイプ。
「仕事に対しては、こう向き合うべきだ」という自己管理に凝り固まっている人。
これも仕事に対する先入観・偏見です。もしくはサラリーマンとういう立場に対する先入観です。
電車で移動する際は、仕事に関する書面に目を通す、みたいなクソまじめ人間。
こういのは融通が利かないというタイプで、先入観で自分自身をがんじがらめにしている。
自分に都合の悪い事からは目を背けるタイプ
会社でも学校でも、馬が合わない人っていますよね。
なぜか、気にくわない。とりあえず話をして、どんな人かと探りを入れてみたけどやっぱり反りが合わない人ね。
その相手から何か危害を加えられたわけじゃないのに、なぜか好きになれない。関わり合いたくない。いっそ、どこかに消えて行ってほしい。
でも、心優しい人は思うわけです「いや、いや、こんな感情を抱いてはいけない。何も悪い事をされたわけじゃないのだから、良い面を探しだしてそこをしっかりと見なければ、、、。」
これ、ダメです。
自分の心に蓋をした状態です。
好きでもない人から、無理やり良い点を見つけ出して、好きになるよう努力する、なんていうのやめた方がいい。
潜在意識が嫌っているのだから、嫌いでいいのです。
自分の心に蓋をかぶせると自分の本当の気持ちがわからなくなります。
いじめに対処できない学校
日本全国、いっこうにいじめがなくならない。
この理由、原因は分かりますか?
理想の学校像とうい先入観に固められて、身動きが取れないのです。
『いじめ防止対策推進法』で、学校は校内で苛めがあったことが確認できた場合、いじめをやめさせ、及びその再発を防止するため対策をこうじなければならない、と規定されています。
確かにまっとうな事を言っています。法律ですからね。
でも、この法律があるがために学校はかたくなに「苛めはなかった」と言い張るわけです。
法律に違反することイコール犯罪者という固定観念という、先入観というか、、、。
学校の思考回路を狂わせているわけです。
「苛めがあった」⇒「苛めをやめさせ、再発防止をしなければならない」
もし、辞めさせられないなら、学校内の苛めを見てみないふりをするしかない、という間違った思考回路が大半の学校にははびこっている。
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自分勝手に作り上げた先入観と偏見
あれからだいぶ時間が経過しました。
相模原津久井やまゆり園での知的障害者殺害事件。
犯人の植松聖は精神鑑定中と言われていますが、それもじきに完了し裁判に入るでしょう。
植松からは、「意思疎通の取れない者など生かしておいても意味が無い」みたいな偏見に満ちた言葉が発せられているようです。
この人、初めは学校の先生になろうとしていたでしょ。
その教員試験に合格できずに、養護施設の先生になろうとしたのです。
その準備として、知的障害者の収容施設で働くようになった。
初めは、モチベーションも結構高かったといいます。
やまゆり園で暮らす知的障害者も「かわいい」といって面倒を見ていたのです。
それから、だんだんと辛い現実に揺さぶられ始めたわけです。
たぶん、汚い言葉でののしられたり、暴力まがいの攻撃を受けたりだったのでしょう。
そこでカチンときたわけです。
ふざけんじゃねえよ、まともに物事考えられもしねえくせに、、、。
と自己愛性人格障害が顔をした。
結果、知的障害者などいない方がこの世の為だ、という偏見にたどり着いたわけ。
自分を正当化する手段として偏見にたどりついた。
和歌山県カレー殺人事件の林真須美死刑囚
この事件も警察側の偏見で引っ込みがツ泣かくなった例です。
林真須美は今でも無罪を主張しています。
警察が林真須美を犯人と断定した状況証拠のヒ素が問題なのです。
「カレー鍋の中と、カレー鍋にヒ素を混入させるときに使った紙コップに付着していたヒ素が、林真須美の家に保管されていたヒ素と成分的に一致した」と検察は断定しました。
東京理科大に検定依頼し、スプリング・エイトという巨大な設備で試験をした結果と判断した。
これで確実と思った警察は、林真須美が一人でカレー鍋の番をしていたときにヒ素を入れたと言い放った。
東京理科大の検定結果が発表されるや、弁護団は京都大学大学院に更に精度の高い検査を依頼したところ、ヒ素に含まれる不純物の濃度が異なっていたことが判明。
林の家に保管されていたヒ素のほうが不純物濃度が高いわけです。
カレーに混入されたヒ素の方が純度が高いと判明し、検察の掲げる状況証拠が崩れたわけです。
すると、一人でカレー鍋の番をしていたと目撃されていた林真須美だったが、実際には自分の娘とふたりでそこに居たことが判明しました。
一人でいたという証言は警察のでっち上げ。
さらに、ピンク色の紙コップを持って歩いていたという子供の証言もウソ。現場から発見されたのは水色の紙コップ。
状況証拠がガラガラとひっくり返っていった。
でも裁判所は弁護側の状況証拠を受け入れない。
完全に偏見に凝り固まった状況証拠なのに検察の面子を保つために、再審議には入らないわけです。
大切なのは偏見や先入観を持ちながら、無理にでもゼロクリアーして物事を考えること
個人レベルでも、検察とか学校みたいな組織でも、偏見や先入観はなくならないのです。
自分が先入観に満ちた心の持ち主だと悩む必要など、これっぽっちもないのです。
誰だって過去の経験、事実から物事を推測するわけです。
仮説をたてて、そこから出発する。
でも、大人だから、そこはうまい具合に取り繕うわけですよ。
だって、推測や仮説は事実ではありませんから。
で、そのあと徐々に仮説が崩れて別の方向に動いてい行く。
それが普通なのです。
大切なの、先入観にとらわれずに 仮説から事態がずれてきたら、柔軟に思考を動かすことなのです。
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