ホラームービー第一位『悪魔のいけにえ』
ホラームービーベスト20という記事をWEB SITEで読ませていただきました。
輝ける第一位はトビ―フーバー監督の1974年作品の『悪魔のいけにえ』。
森の奥に住む、いかれた一家が、森に迷い込んだ人たちを殺しまくるという作品。
人間の皮で作ったレザーマスクをかぶった一番のクレイジー野郎がチェーンソーで人間をぶった切るわけです。
ジンベイザメとかホオジロザメなんかを引っ掛けるくらいデカイ釣り針に生きた人間を背中 から引っ掛けて手足を切断。
頭蓋骨を剣道の面のように脳天から真っ二つに。
血しぶきが勢いよく飛び散り犯人の顔面を真っ赤に染める。
一人二人殺しても全然満足しない殺戮依存症です。
ドーパミンとアドレナリンが脳内を満たして、人間を追い掛け回すのです。
森に住む、いかれた家族以外、すべて殺さなければ気がおさまらないのだ。
さて、この殺人鬼の精神構造とはいかなるものか?クレイジーなのは一目瞭然ではありますが、奴のメンタルはどんな狂気で成り立っているのか、、、。
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13日の金曜日・ジェイソン
比較的似ているタイプとしては13日の金曜日のジェイソンがいますね。
チェーンソーで手当たり次第ぶっ殺す、凶暴型のクレイジー。
でも、悪魔のいけにえとの違いは、狂気の根っ子のところに母親がからんでいるところなのです。
ジェイソンが殺戮を繰り返すようになったのは、湖で溺死したジェイソンに母親の怨念が乗り移って生きる屍となって甦ったところにある。
つまり、我が子を見殺しにしたサマーキャンプの若者への仕返しということなのです。
サイコ・ノーマンベイツ
アルフレッドヒッチコック監督の『サイコ』の場合は、主人公の青年であるノーマン・ベイツは厳格すぎる母親に育てられたががめに、若い女性イコール男をたぶらかす淫乱イメージを自分の中に植えつけてしまった。健全なる青年男子としての性への興味を抑圧され続けているわけだ。
ノーマンは若い女性がモーテルに宿泊するたびに、壁の覗き穴から女性を観察する覗き趣味に取りつかれている。
唯一、母親から隠れて、女性への興味を満足させる軽犯罪行為だった。
この部分についてはあくまでも推測で、詳細は映画では描かれていない。
ノーマンの母親が必要以上に男女関係に潔癖すぎたのか、それともモーテルに泊まりに来た若い女性をたびたび覗き見するノーマンを叱ったのがトラウマとなっているのか。もしかしたら、ノーマンの父親が女性にだらしない性格で、それを忌み嫌う母親を見ているうちにノーマンが勝手に女性に興味を持つと同時に、殺さなければならないと思考が切り替え割ってしまう。
神経症(マザーコンプレックス)と同一性人格障害と強迫神経症が混ざった精神構造ですね。
ハンニバル・レクター
ハンニバル・レクターは実在するシリアルキラー、ジェフリー・ダーマー(1960年生まれ、科学者としての博士号取得)をモデルにしています。
客観的には分別ある普通の人間として日々生活しながら、腹の底では得体の知れない嗜好癖がとぐろを巻いている。
実在する連続殺人犯、猟奇殺人犯は、傍観しただけでは殺人犯とは見て取れない。
知り合いにはきちんと挨拶し、常識ある行動をとっている。
殺人被疑者としてして逮捕されて、「まさか、あの人が」と周囲を驚愕させるほうが圧倒的に多いのだ。
「きっと、いつか何かやらかすと思っていた」と揶揄される人ほど、たとえ警察のお世話になろうとも軽犯罪程度なのです。
天才精神科医ハンニバル・レクターのような者は現存しないとしても、レザーマスクやジェイソンのようにな見るからに狂気という人間はまず孫愛していない。
ノーマン・ベイツやハンニバル・レクターのような一見、常識をわきまえた人間が暗闇からじっとチャンスをうかがっているのです。
悪魔のいけにえ・レザーマスク
『悪魔のいけにえ』のレザーマスが取りつかれたようには、殺戮を繰り返します。
楽しんでい部分と、殺さずにはいられないとう部分が入り混じった雰囲気です。
恐らく、自分ら家族が住む森に、断りもなしに入ってくる奴は許しておけない、という感覚ではないでしょうか。
だとすると、殺しに対する脅迫神経症ですね。
その上に殺しを楽しんでいるとすれば、殺人依存症です。
人を殺すたびに脳内にドーパミンが大量に分泌され、殺しそのものを楽しんでいる節もある。
罪の意識など一切なくて、森に住む自分の家族以外はすべ的だとする父親や母親を見て育った狂気なのです。
幻聴、幻覚が奴を殺人に走らせているとしたら、統合失調ですが、どうも誤った価値観を植え付けられた外因性の脅迫と強迫神経症と、殺人依存症の混合タイプでしょう。
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