いじめられる側にも劣等感があると考えてみた

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いじめる側の心根には劣等感が横たわっていて、気持ちに帳尻を合わせるためにいじめに手を染める。

優越感を味わって、枯渇しかかった心に命の水を注ぐのだという理屈だ。

考えてみました。

いじめられる側にも劣等感が疼いていて、そこに付け込まれるように被害者が産まれているおではないかと。

  

劣等感がいじめをよぶ

 

人が抱える劣等感をこバカにしたり、からかっているうちに、それがいじめhと発展することがある。

子供でも、大人でも劣等感の1つや2つはもっているはず。ごくごく普通の事です。

でも、それを目立たないようにうまく隠せる人と、隠せない人がいる。

隠す事で、かえって目だたせてしまっている人もいる。人間って難しいですね。

小学生や中学生の場合、露呈された劣等感を面白半部に連呼して騒ぎ立てるのは男子。
陰でこそこそと拡散するのが女子。そんなふうに相場が決まっている。

  

子供が抱える劣等感とは

 

小中学生の男女が抱える劣等感とは、いかなるものか?

外見だとしたら、背が低い、太っている、出っ歯、度の強いメガネをかけている、ニキビ面、眉毛が太い、顔に凹凸がない(平均よりも平たい)、髪が天然パーマでもじゃもじゃ、アトピー体質、、、、。

 

内面的には、運動神経が鈍い、音痴、不器用(美術などの作品がボロボロ)、特定の科目が極端にできない、全般的に頭が悪い、発達障害、知能障害、、、、。

 

数えるときりがない。

 忘れてならないのは家庭環境です。どこからか情報を仕入れてくる利き耳がいるのです。

劣等感といういと大変失礼ですが、家業が葬儀屋とかパチンコ屋、父親の仕事がゴミ回収員だったり、本物のヤクザ、暴力団員。

家が貧乏で服装も持ち物もお古ばかり、というのも劣等感となりますね。

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子供に植えつけられる劣等感とは

  

前述した子供が抱える劣等感どこから生まれたのか?

外見、内面、家庭環境のいずれをみても子供に切責任のないものばかりです。

子供の立場かっら言わせれば、「だからなんだ!」と開き直っても、少しもおかしくないものなのです。親の責任だと安易に言い切ったって中学生なら許されるだろう。

 

しかし、子供は自分の中に責任を見出してしまう。

自分の落ち度や不始末のように受け入れ、その感覚に取りつかれてしまうのです。

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隠していても露呈していく

 

外見、つまり見てくれとなると隠しようがありませんね。デブはデブだし、出っ歯は出っ歯。今すぐ克服のしようがない。

子供って、無邪気であるゆえに、時として残酷でもある。思った事をダイレクトに口にします。クラスメートに平気で疎外感を与えてします。

そんなこと言うもんじゃないよ!と大人の対応ができる子供もいますが、陰では何を言っているかわからない。


それが子供ってものです。年を重ねて自分も辛い思いをしながら他人の痛みがわかってくるものなのです。

 

単発な悪口は、子供どうしでもすぐに飽きてしまって、悪口レベルで終わるのです。デブが根拠でいじめられることなど、ほとんど聞いたことがない。せいぜい、あだ名くらいで落ち着いてしまう。

 

いじめへの発達は、もっと複合的な(グロテスクで毒々しい)ハンディによってもたらされてくるのです。

発達障害と、しゃくれた顎の顔立ちと、アトピー性皮膚炎と、運動神経の鈍さが一人の子供に集中していたとしたら、たちどころに露呈して好奇の目で見られるようになる。

子供にとっては、雰囲気の変わった同級生がいて、顔立ちにちょっとした特徴があったとしたら、確実に話のネタになる。

詮索好きな年頃だから、なぜ自分らと雰囲気がちがうのだろうと頭を突き合わせる。
どこか様子がおかしい奴ということになる。

そして、親は、兄妹は?と話が発展していくのだ。

真実と空想の境目など、どこにもなく黄色い救急車が家の前に止まったのを見ただとか、家のベランダに洗濯された拘束服が干してあったと、ぐいぐいとヤバイ方へと引っ張っていく。

空想、妄想で物取りなくなった時、嫌がらせといじめが始まる。

 

子供の好奇心がいじめへと悪乗りする

 

このパターンでいじめに合う子供は少なくない。

ただし、たいていのハンディは本人の責任ではないのです。敢えて言うなら運動神経とか、勉強の出来不出来あたりが本人の努力次第でどうにかなるかもしれない。

しかし、かりに運動神経を鍛えて得意科目をを一つ二つ作れたからと言って、いじめを確実に避けられるかといえば、正直それは無理でしょう。

発達障害と、シャクレタ顔と、アトピー性皮膚炎の3つだけでも十分なのです。

子供の好奇心を震わせるには十分なのですね。

希少なものに人間は飛びつくわけです。

大人なら、だいたい察しはつきますね。だからマナーとしてじろじろ見るなどしないわけです。

でも、子供はじろじろ見ながら入念に観察します。

なぜ、この人はみんなと歩調を合わせられないのだろうか?突拍子もない回答をするのは、奇をてらった行為なのか?

普通じゃない、俺たちとはどこか違う、と感じるわけです。

ここにシャクレタ顔とアトピー性皮膚炎が上乗せされて、妙にグロテスクな人間へと祀りたててしまう。

 

かりに、発達障害がなかったとしたら、どうだろうか?

「案外、話してみたら普通の奴だったよ。アトピーって皮膚のアレルギーで痒いんだってさ。でもわりとい奴だよ」って事になる。

みんなと同じなんだと思わせることで、希少性が薄れて好奇の目からはずされるのだ。

 

学校の役割とは

 

どことなく特殊な雰囲気の子供がいたら、学校の先生は要注意なのです。

勉強ができないとか、運動ができないと第三者的に観察して、通知表を作成すればいいわけじゃないのです。

発達障害の子供がいたとしたら、落ち着きがない、集中力に欠ける、と通知表に書くことだけが仕事ではないのです。

 

なぜ特殊な雰囲気を放っているかをしっかりと見届けて、それが何かを子供たちに話して聞かせるのとが大事なのです。

発達障害は隠しとおせるものではないのだから、クラス全体に理解を求めるのが最低下必要なのです。

そうすれが、すくなくとも味方になってくれる生徒も必ず現れる。

事前に知らせて於けば発達障害を理由に意地悪をする子はまず、出てこないでしょう。

もちろん、親の了解を得たうえでの話ではあるが、学校の提案を熟慮したうえで、それでも隠し通したいと希望する親はまずいないはずなのです。

 こんなところから学校の先生はいじめに手を付けていったらいいのではないかと思うのです。

それが出来ないなら、いじめと同時に、生徒を逃がすしかない!

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