Contents
凶悪犯罪の原因は狂気なのだが
生まれつきの気違いと、病気で正気を失った人がいる。昨今の異常犯罪はいずれによるものか?
気違い故に犯罪に手を染めるのか、それともいたって平凡な人が何かをきっかけに異常殺人へとのめり込んでいったのか。
いずれにしても、その動機を垣間見るたびに底知れぬ興味を覚えずにはいられない。
さらに言えば、何をもって狂気(責任能力のない精神病の状態)と断定するのかもなかなか面白い。
犯罪を裁く上で専門医による精神鑑定が行われる。複数の精神科医の鑑定結果が100%同一の結果を示すことは稀だと言われる。
精神科医といえども生身の人間だし、多くの経験をもってして定量的にジャッジできないのだから鑑定結果にバラツキがでる。
冒頭にもどって、狂気の内因性(生まれつき)と外因性(後から病気で狂った人)では課される刑罰が全然ちがってくる。
刑法39条とは、犯行当時に心神耗弱や心神喪失で責任能力が無いと判断された場合には処罰しない、もしくは刑を軽減するという法律だからだ。
【広 告】
生まれつきの気違いとは
佐川一政は小学4年生の頃から人肉が食べたかったと答えた。
佐川一政とはパリ留学時代に、留学人仲間のオランダ人女性を殺害して、その人肉を食べたことで有名になった人物。
遺体をスーツケースにいれて運んでいのを警察に取り押さえられてパリの精神病院に強制入院、その後日本に強制送還された。都立松沢病院に入院し、犯行当時の精神鑑定を試みたものの、パリ側の病院がカルテの引き渡しを拒否したため、精神鑑定できなかった。
佐川を狂気と断定するのは、かれのもつカニバリズムにあります。小学校4年生頃から人肉を食してみたかった願望に取りつかれています。
スカートの裾から伸びる同級生の女の子の白い足を見て、食べてみたいという衝動に駆られたと言います。
パリでの事件を経て、翻訳家として仕事をしていましたが、いつ何時、人肉への食欲が再びこみあげてくるか自分でも心配でいられないとインタビューで話しています。
正常を保ちながら生きるも、自分の中の狂気がいつ爆発するかに怯えながら生きている人なのです。
ちょっと依存症と似ていますね。女性の裸体を見たら脳内でドーパミンが大量分泌し、猛烈に人肉が食べたくなる。
もろい正常心をかろうじてたもちながら生きている生まれつきの狂気なのです。
ロリコン渋谷は自己愛性人格障害者
リンちゃんの死体には渋谷の精液が付着していたといいますから、完全なるロリコンです。
ただ、ロリコンの男性なんて世の中に掃いて捨てるほどいますから、それだけでは異常とは言い切れないですね。
渋谷にはPTA会長という顔がありました。世間に対して保護者代表のような取り澄ました顔をしていたわけです。
そもそも、PTA会長を務めるあたりがボランティア的というよりも、自己愛性が透けて見えるわけです。
学校と各家庭の架け橋の大元締めみたいな立ち位置で、学校に通う幼女をいやらしい目で見ていたわけです。
こいつは筋金入りの狂気ですね。
その証拠に、警察の取り調べを終始、黙秘でとおしたわけで、その理由も余罪を隠す目的だと誰もが知っている。
少なくとも、もう一人は殺しているのです。
もし、それを自白してしまったら、死刑確定になります。だからボロを出さない為に一貫して黙秘と通し続け、一審で無期懲役を勝ち取ったのです。
即、控訴しましたから、余罪を立証して死刑に叩き込みたいところです。
これらに対して、外因性と考えられるのが幾つかあります
【広告】
津久井やまゆり園殺人事件の植松聖は教員免許を取得できなかったところで負のスパイラルに落ちた
少し前になりますが、相模原津久井やまゆり園での障害者殺人で逮捕された植松聖です。
障害者など消えてしまった方がいい、と言い放った植松には同情の余地はないですね。
背中に刺青を入れ、肩で風をきって闊歩していた様が想像できます。
でも、この植松が事件を起こすに至った経緯を見ると紆余曲折があったのが分かります。
実家近所での評判はすこぶるいいのです。元気よく挨拶ができるお兄ちゃん、みたいな明るい青年でとおっていた。
父親が学校の先生をしていて、自分も教師を目指していた。ところが教員試験に合格できなかったのです。
そこで植松は養護学校の先生へと目標を変更しました。
ここから感じ取れる植松の性格は、人の世話をするのが好きな好青年というイメージです。近所の子供の面倒もよく見ていたとのことでしたから。
そして、養護学校の先生になる準備のつもりで津久井やまゆり園で働くことにした。
ここは知的障害者が集団で暮らす障害者介護施設です。それも、かなり重度の知的障害を持っている人たちばかりです。
実家で家族が面倒見きれない人たちを預かるような位置づけの施設です。
植松は初めのうちは熱心に仕事に取り組んでいた。しかし、次第にモチベーションが下がってきた。
障害者は言うことを聞かない、同じことを何度も注意しなければならない。一方で理不尽な言葉で障害者から責められる。世話をしている相手から、暴力を受け、罵声を浴びせられる毎日。
知的障害者に対して憎しみが湧いてきたのです。
「あんな奴らは殺してしまった方が社会のためなんだ」と。
植松は知的障害者は価値の無い存在、世間のお荷物、と自分に言い聞かせることで心に蓋をしたのです。そして、時間が経過するほどに、強まった言った。本当の自分の感情が分からなくなった。
植松のただならぬ様子を見聞きした人からの連絡で、措置輸入となってしまった。
これを植松は耐え難い屈辱、ととらえたのでしょう。一度でも、自分のこんな気持ち気づいてしまったら、立て直しが効かない性分だったのでしょう。
ここが難しいところなのです。他の従業員だって植松と同じように理不尽な目に合いながらも頑張って仕事をしている。
植松だけが、なぜ、それに耐えられない?ってことになりますね。
自尊心が強すぎる、とか、自己愛性人格障害者だとか。
もともと普通の学校の教師を目指していたのが、そこで挫折したから養護施設の先生へと目標を安易に変えたところにもともとの問題があったように思えるわけです。
だって、普通の学校教師と、養護施設の先生とでは仕事事態ちがうでしょ。ましてや、その練習として知的障碍者施設で働くなど、まったくの方向違いに思えてならないのです。
正式な答えは専門家が出すこととなるでしょうが、植松聖は内因性でなく、メンタル面での病気が大量殺人のトリガーとなってしまったように思えるのです。
【広告】