読書感想文の書き方:実体験と比較対照、精神力の強さ、文章にメリハリを

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慣れていないのが原因

 

読書感想文が苦手な児童、その理由はいたってシンプル。

ただ不慣れなだけ。

何を書いたらいいかに慣れていないだけなのです。

 

国語の教師に「餃子の王将」で食レポしてくれって言ったら、どれくらいクオリティの高い表現ができるでしょうか?

よその店で食べた実体験と比較対照するくらい。

おそらく、国語教師という語彙のプロをもってしても、彦丸さんほどのレベルは期待できないでしょう。

慣れていないから、簡単にはいかないはず。 

読書感想文が苦手な子供も、これと同じ状態です。

漠然と物語を読んで、感じた事を書け、と言われたって唐突すぎちゃう。

面白かった、つまらなかった、意味がわからないから何も感想なし、、、。

こんなところです。

これが普通です。

 

再び教師への意地悪問題に戻ります。

ムソルグスキー作曲の「禿山の一夜」を聞いて、その感想を、という宿題だって苦労するでしょう。

100字程度の感想文ならともかく、1000字となるとクラッシック音楽に精通でもしてない限り、原稿用紙のマス目を持て余してしまう。

さっきの食レポよりは多少マシでしょうか。

それでも、10人いれば10人ともパソコン検索で、「禿山の一夜」を調べるのは目に見えています。

 大人ですから、何とか手がかりを探ろうという作戦いでるのです。

 見たり、聴いたりしただけじゃ自分の内面から浮かび上がってくる感想なんて知れたもんです。

文章力でメリハリをつけてみたところで、内容的にはどんなものか?

ある程度の基礎知識があって、それとの比較対照を軸に感想文は構成されるのです。

 

読書感想文に慣れていない子供にはヒントを上げましょう。

見違えるほど、感想らしい言葉がでてくるのです。

 

 

いちばん興味をもったところ

 

子供たちに言ってあげてください。

「物語を通して一番興味をもったところ、気になったところはどこ?」

面白かったところじゃないくていいんだよ!

この問いは子供の肩から力を抜きます。

気になったところだから、感じ方は人それぞれだし、作者の意図なんて関係ない。

感動する場面じゃなくったっていいのです。

 

何も考えずに、文字だけおっていた子供だったら、こじつけで OK なんです。

ほうら、少しずつ出てきたでしょ。

こじつけ派の子供は、必死に物語を読み直します。

どこだってかまわないのだから、はじめから読む必要もありません。

『』でかこまれたセリフの部分だって別に問題なしです。

 なぜ興味をもったか、気になったかの理由は問いたださないのが鉄則です。

理由を問われると思った瞬間から、子供は萎縮します。

なぜカッコイイと思ったか、の「なぜ?」はダメです。

子供たちは、物語を行ったり来たりしながら読み返します。

作者の文章を読み解こうとしているわけです。

でも、「なぜ?」と言われた瞬間に物語の読み解きがストップします。

ストーリーを追っていた思考が、瞬時に自分の内側に向かうのです。

「なぜ?」という問いは物語の中にはなく、自分に向けられた質問だと判断するのですね。

「なぜ、そう思ったのか?」の説明が感想文の奥行を深めるのは重々承知です。

なぜ、と書かなければならないことに遅かれ早かれぶつかります。

そのなぜを上手く表現するのが大切なことだと理解します。

 

 

我が身と照らし合わせる

 

我が身との照らし合わせをさせてみる。

感想文を起承転結で書き進めていく場合、転のところでヒネリを加えるわけです。

ヒネリかたとして、我が身との比較対照がポピュラーな手法です。

幾つかのエピソードを事前に準備しておけば、どんな物語の感想文にでも適用できるのです。

 

一つのパターンとしては、「もし自分だったら、こんな風にしていただろう」と言う書き進め方。

自分の性格をあらかじめ整理しておくわけです。

たとえば、自分が几帳面で少し臆病だとして(別に自分で自分の性格を書き表すのですから、回りからどう見られているかなんて関係ないんです)、それを簡潔にまとめておく。

 

「自分が主人公の A さんだったら、クラスのまとめ役など買って出る事はできなかったと思う、なぜなら私は少し臆病な性格だから、、、、、。」という具合です。

精神力の強さを引き合いに出すのは有効的です。

ここから導き出されるのは、ときには A さんのように勇気をだしてクラスのまとめる役目を引き受けてみたいという自分への叱咤激励です。

もう一つ別のパターンとしては、実は自分にも主人公と同じような経験をしたことがある、という流れ。

物語の結末と、自分の体験の結末の違いを述べて、次は主人公を見ならいたいという前向きな姿勢でしめる。

 

 

固定観点を壊してくれた

 

自分の固定観念や、それまで信じていた事が打ち砕かれた。

または、揺さ振りをかけられてという結び方です。

 

例をあげてみます。

私はこれまで人間関係で一番大切なのは相手を尊重する事だと考えていました。
相手の意見を尊重し、認め、応援するのが本当の友達だと思っていたのです。
でも、この物語の主人公は親友に嫌われるのを覚悟で、親友の意見をものの見事に切り捨てた。
野球部のレギュラー争いで先輩にわざと負け、先輩にレギュラーの座を譲ろうという考えに、真っ向から反対したのだった。
今大会を最後に引退が決まっている先輩に、クラブ活動の思い出として正規ポジションを譲るなど、先輩への優しさでもなんでもない。
レギュラーを決めるのは監督の采配で、そこに小手先の嘘をまぶそうなど、チームに対する冒涜であると言ってのけたのだ。
もし、自分だったら、親友がレギュラーポジションを先輩に譲ろうとする優しさに賛成していたと思う。
親友の考えを尊重して後押ししていたと思う。
でも、相手の意見を尊重するのが常に正しいとは限らないことをこの物語で知る事ができた。

 

 

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メンタルの強さ

 

わりと、なんにでも応用がきくのが「精神力の強さ」や「折れない心」です。

物語に登場する人物の中に、メンタルの強いキャラが出てきた場合、これを使わない手はありません。

精神力の強い人のひとつの特徴を、自分を信じ、逆境にあっても粘り強く頑張り抜くとうい点です。

この、「自分を信じる」というところが大切なんです。

感想文の表現として、メンタルの強い登場人物の言動から、自分自身を信じていると思われるところを物語の文中から探し出してください。

たとえば;

真正直な両親に育てられた。
だから嘘をつくのが下手で、学校の友達の間でも正直者で通っている。
実際、嘘をつくと顔が真っ赤に染まってしまうのである。
そのぶん、要領が悪いと思われることもしばしばあった。
しかし、それに見合うだけの自信を身に着けてきたのだ。
嘘をつかないぶん、周りは本当の太郎を知っている。
知っているから、太郎を褒めることも、しかる事も、すべて太郎の成長に直結する。
褒められて喜び、叱られて悲しむ。
そして、そのたびに自信という何にも代えがたい宝物を身に着けることができたのである。

 

このような場面を見つけることができれば、太郎のメンタルの強さが、自分を信じるところが基礎となっていると推測できるし、更に深く、自分を信じるためには、本当の自分を正直にさらけ出す事で自信をえることができると筆を進めることができる。

ただ、がむしゃらに頑張るだけではく、自分に嘘をつかず、清々堂々と生きる事で自分に自信がもてるようになる、と締めくくることができる。

 

もし、自分を信じるという場面が見つからない場合、あなたの考えてとして自分を信じることが自信につながり、強い精神力を発揮できると書いてしまっても構わない。

主人公がなぜあんなにも粘り強く、強靭な精神力をもっているのか考えたとき、ふと「自分を信じる心が強靭なメンタルにつながる」と解釈した、でも言い訳です。

そして、その理由として、上記のヒント②をアレンジするわけです。

 

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文章に強弱をつける

 

文章に強弱やメリハリをつける際、「非常に」とか「身震いするほど」とかいろいろな形容を駆使する事ができます。

それ以外に、もっと効果的に文章のある部分を印象付けたい場合、強調したい部分を、別の表現で繰り返すことでメリハリをつけるという手法があります。

とても効果的なので是非覚えてください。

例をあげます。

私はいままで強靭なメンタルとは、困難にぶつかっても、まるで何もなかったように平然としていられる精神の持ち主とかんがえていました。
でもそれは間違いだったと気付かされた。
全くの見当違いでした。
ありえない偶像を追い求めていたと、やっといま気付いた。
平然としていられるなどありえないのです。
それは単に鈍感なだけなのです。
メンタルが強くても同じ人間、辛いときは辛いのです。

 

読書感想文のパターンはこれだ!

苦手な小学生が見違えるほど上手くなる

 

 

 

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