GAY、切ない秘密、エイズ疑惑覚悟で何がカミングアウトを決断させた

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あっちの世界とこっちの世界

 

「彼もあっちの世界に行ってしまったか、、、。」

単純にとらえれば、亡くなって天国に旅立ったという事。

マナーとしての婉曲法の表現です。

でも、「あっちの世界」にはかなりの含みとバリエーションがあるのです。

人間の脳は潜在意識にコントロールされながら徘徊し、ある日、思いきってカミングアウトを決断してしまうことがあるのです。

 

 

愛の力

 

カミングアウトするときってどんな状心境?

脳みそは、その後の将来をどんなふうに想定しているのでしょうか?

 

性同一性障害の方はどんなタイミングで自分の性が心と異なっていると感じるのでしょうか?

幼いときから、ぼんやりと男でいることに抵抗を感じていた。

思春期のある日、突然、性的対象を男友達に見出す。

いや、GAYのわけない、と頭を二三度振ってみたものの、一度感じた感覚はそれから消える事がなかった。

「自分はゲイなんだ」、誰にも打ち明けられない日々がもんもんと続く。

高校受験から大学入学。

切ない秘密をかみしめながらの青春です。

異性との交際経験はいまだなになし。交際する気にもなれない。

そんなある日、同じ性同一性障害の男性から声をかけられた。

はっきり言って、見た目は全くタイプではなかった。

「キミあれだよね?」

すぐにピンときた。

ひそかに思いを寄せる高校時代の同級生とは全く違うタイプ。

小太りの中年男性だ。

しかし、同じ境遇の男性と出会ったのははじめてだった。

 

彼が、これをきっかけに、あっちの世界に足を踏み入れたかどうかはわからない。

 

統計的にみると一定の割合でGAYの方々が存在していて、その割合は予想以上に大きいのです。

それでも、カミングアウトに踏み切れないのは、その後の世界が気になるからだろう。

男友達、女友達との人間関係のバランスが狂ってしまうのが怖いから。


エイズ疑惑をかけられるかもしれないから。

告白の後、彼らと今まで通りのコミュニケーションがはかれるかが気になってしかたない。

もし取り返しのつかない事態になってしまったら、と思う。

これまで築いてきた世界が崩壊してしまったら、と危惧するのだ。

 

 

性同一性障害は基本ネガティブだが時として楽観的になれるときもある。

案外、あっけなく認めてくれるかもしれないと楽天視する自分が時々顔をだす。

米国・ロサンゼルスのように同性カップルが認知されている土地だってある。

別に疚しいことをしているわけではないと自己肯定感が沸き上がることもある。

おそらく、人生を共にしようという相手が見つかり、その運命の人とガッチリ力が合わさったときに、カミングアウトする勇気がでるのでしょう。

これまでの関係を断ち切って、二人だけで海外に逃げて暮らすくらいの覚悟ができてしまえば、その時点であっちの世界へと移行するのだろう。

同性カップルは、まだあっちの世界の存在なのです。

 

背中を押されて

 

昼夜関係ない怠惰な生活の延長線上に、引きこもりは位置している。

登校と欠席のバランスが崩れ、不登校気味になってゆく。 ずるずるとそれが際限なく長期化したものが引きこもりと考えがちだが、たいていの場合、本人にはれっきとした決断のタイミグがあるのです。

もう、これでいいか、という”引きこもり“を決め込むタイミングがあるのです。

境界線に居ながらも、本人なりにはいたって客観的でロジカルな移行の理由が。

“朝起きて、今日も欠席”の繰り返しで1年も2年も経過するわけがないのです。

さて、その理由とはいかなるものか?

たとえば、10回登校してそのうちの1回でも2回でも、自分的に意義があると感じたとしたら、休みがちになるものの学校を続けるが、10回のうち1度たりとも意義をかんじなければ、11回目以降は不登校で引きこもりを決め込む。

 

5回登校してみて、一度でもだれかから声をかけられたら学校を続けるけれど、5回の登校がすべて孤独に終わるのであれば、もう引き込んでしまおうという理屈。

はたから見れば、まったくもって独りよがりな理由だが、本人にとってみれば、しごくまっとうなつもりでいるのです。

ほぼ8割、9割かた引きこもりモードに入っていて、あとは自分に対する最後通告のようなつもりでいるのでしょう。

なにかイベント的な行為をすることで、晴れて一線を越えられるという心理。

精神の根本には強い劣等感が横たわっています。

だからこそイベントに、ポンと背中を押してもらって、胸を張って引き込むという感覚なのです。

そこには、引き込みが、自己嫌悪的でどこかやましいものという意識が働いているのです。

 

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ドーパミンの多量分泌で脳が一線を越える

 

佐川一政は小学校4年生にして人肉に強い興味を抱いていました。

同級生の女の子のスカートから伸びる白い脚を見て、食べてみたいと感じていたと告白しています。

このカニバリズムは精神疾患によって出現するとも言われているが、佐川の場合には精神鑑定で犯行当時の精神状態を特定することができませんでした。

 

佐川はフランス留学時代、パリでオランダ人留学生を殺害して、死体の一部を食しました。

最初は尻に噛り付いたものの、肉を噛み切ることが出来なかったと証言しています。

その後、死体を捨てに行く途中で逮捕され、フランスの精神病院に収容された。

1年後、日本に強制送還され都立松沢病院で精神鑑定を受けたものの、犯行直後の佐川のカルテをフランス側が引き渡し拒否したため、松沢での精神鑑定で責任能力の証明がつけられなかったといいます。

 

一線を越えるか越えないかの観点からいうと、佐川のカニバリズムは未開花の状態で、その芽を摘まれたといえます。

一人の殺人で逮捕されたことが幸いしているのです。

カニバリズムとは、ギャンブル依存症や買い物依存症と発症プロセスが似ています。

達成直後にドーパミンが多量に分泌され、強烈な興奮がもたらされる、そこに執着し、離れられなくなる。

もし佐川が一回目の犯行で逮捕されていなければ、あっちの世界から引き戻すことはできなかったかもしれない。

ただ、本人はインタビューの中で、いつなんどき人肉を食したい強い欲望に襲われるか分からないと言い残しています。

いまでも佐川は境界線にいて、カニバリズムが心のなかで疼いているのです。

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