ボランティア活動と癒しの効果:罪滅ぼし、自己嫌悪の払拭

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ボランティア活動

「ボランティアは、される方より、する方に癒しの効果がある」

「他者の為に自分が役に立っていることで幸福感や満足感が高まり、脳内にエンドルフィンが分泌され、精神的なストレスを緩和してくれる」。

  更に、「後ろめたい気分が晴れて自己肯定な気分になる」等々。

偽善というほどではありませんが、どこか罪滅ぼしや自己嫌悪の払拭のように思えてくる。

取り返しのつかない犯罪を犯し、刑期はまっとうしたものの自分を許せないという方々にとっての救いの道でもあるのです。癒しの効果があるのです。

 

 

地震・津波・大雨による土砂災害。

自然災害が人間に牙をむき、そのたびに多くの犠牲者がでます。

その一方で極限状況で命をつないでいる被災者を手助けしようとボランティアが現場に向う。

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸・淡路大震災で助けられたから、今度はこっちの番だと東日本大震災へのボランティア活動を買って出た方々。

熊本でも同様の動きが見られました。

「人間、困ったときはお互いさま、持ちつ持たれつ」が正しい姿なのでしょうか。

 

 

情けは人の為ならず

慈善活動に水をさすような心理分析を冒頭に持ってきてしまいました。

意地悪言うなよ、性善説で生きていこうよとも思うのです。

でも、実際問題「困ったときはお互いさま」の裏には、もし自分が同じような逆境で苦しんでいたら、真っ先に手を差し伸べてもらいたいと考えるのも事実。

救われるための交換条件がボランティア活動とも言えなくもない。

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 お互いさまの精神は大切だし、守っていきたい。

でもそこをロジカルに煮詰めていくと、なんともビジネスライクな人間心理が浮かびあがってくるのです。

もちつもたれつが基本といいながらも、時間がある今のうちに参加しておくかと献血のように考える人も出てきそうなのです。

 

 先ほどの 「ボランティアする側にもたらされる癒しの効果・幸福感・満足感・精神的ストレスの緩和」とは、不測の事態に備えて加入した救済保険の保険証券を手に安堵しているような光景が見えてくる。

 

ストレスの真っ只中

 

年齢とともに体力・免疫力が落ち、病気にかかりやすくなるように、精神面でも心の病に陥りやすくなります。

心の病と表現しますが、実際には脳と脳神経の疾患と考えるべきなのです。

その脳を健全に保つのは、なかなかどうして簡単なことではないのです。 

 脳の疲れは蓄積し、あるところでオーバーフローすると病気になりますね。

お年寄りが、いつまでもボケないためにと適度な負荷をかけ、脳を若々しく保つのはすばらしいことです。

軽い運動、ウォーキング、ゲイトボール。町内会の寄り合いに参加して世間話でもしていれば 、それなりに脳に正しいストレスをかけていることになるのでしょう。

 

しかし、そこに行き着く前の現役のサラリーマンや、子育て中の主婦は、ストレスに四方を囲まれている状態。

過度のストレスで身動き取れない人もたくさんいるのです。

 

おのずと、「情けは人のためならず」に手を伸ばして、癒しの効果を得ようとするのかもしれません。

かろうじて元気なうちに人助けでもして、いざという時に救われる準備を整えようとしているのかもしれません。

 

北朝鮮の核実験やミサイル発射に強硬姿勢で対抗しようと、北朝鮮の友好国であるキューバに12億円の医療機器の供与を決めた日本政府。いざというときのために、キューバを見方につけておきたいという計算なのでしょう。

どこまで、それが有効かは誰にもわかりませんね。  ただ、もしもの時のためにと伸ばす手の先がボランティアか、12億円の医療機器の供与の違いで、どこか通じるものを感じてしまうのです。

「情けは人のためならず」ということわざ、なんか嫌な感じですね。

「危機的状況でも、一致団結する誇り高き日本国民」に屁理屈をつけられているようでムカつきます。

 

類似語を調べてみたら、「因果応報」が出てきました。

幸福も不幸も回りまわって自分に戻ってくる。

だから誰にでも親切にしておきなさい、と。

 

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なるほど、なるほど、少し気分メーターが上向きました。

確かに借りた金は返さなければならない、物を戴けばお返しをするのが礼儀。

警察官、消防士、自衛隊は職業であるものの献身的な仕事です。

 

見返りを期待しない奉仕的な行為って存在するのでしょうか?

暫く考えてみました。何を例にとっても、多少なりとも金や見返りが絡んできてしまうのです。

お布施?

 

でも、その裏に心の拠り所を求めようという意志が見え隠れしています。

意地になって考え続けました。 

だって、悲しい意じゃないですか。

『灯台下暗し』、ありました、ありました。

答えは「子育て!」

 思い起こすに、自分の親から何か恩返しを求められた覚えはただの一度もありません。

 

我がドラ息子に期待するのも、ただただ元気に丈夫に成長してくれという思いだけです。

これが血のつながりというものなのですね。 

ああ、晴れ晴れしました。

こう考えると、親子の関係も捨てたものじゃないですよ。

何の見返りも期待せず、ただ愛情をつぎ込み、もちろん時間もお金もつぎ込む。

 

少しだけ期待するのは、スマホの操作がわからないときの、「これどうやるんだ~。めんどくさがらずに親にはきちんと教えろ~。」  くらいですね。

 

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