小さな悩みが強迫観念の始まりか?

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小さい事で迷うのです。
人に相談したら、そんなことどっちだっていいじゃん、と一蹴されそうです。
本気になって一緒に考えてくれる奇特な人はいそうにありません。
一度女房に意見を求めてみしたが、案の定だったのです。
しかし、こんなところから始まるのでしょうか、強迫性障害?

 金曜日の会社帰りのスーパーマーケットの酒売り場。
缶ビールを一本手に取るところまではスムーズなのですが、次が問題なのです。
缶チューハイにるすか、昨日と今日の寒さを考えると焼酎のボトルを買って、お湯割りにするか。
ホットウイスキーも捨て難い。
さらに、焼酎にもウイスキーにも銘柄がある。
この優柔不断が15分から20分くらいつづくのです。
それなら全部買って、そのとき飲みたいと思ったのを飲めばいいじゃん、と女房は言います。
しかし、金曜日の夜はサラリーマンにとっては一番いい時間、特別なひと時。
1週間で最も心が解放される時なのです。
その至福のタイミングで喉を潤すのだか、ら少しは悩みたい、こだわりたいのです。
これって普通ですよね?

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 本屋での迷いはどうでしょうか?
買う目的の本があって本屋に行く場合は、見つけると同時に手に取ってレジへ向いますが、ふらりと何か面白そうなのはないかなあと本屋に入ることあるじゃないですか。
店内を軽く一周して、気になった書籍に戻って、帯の紹介文を読む。
売れ筋ランキングで、どんな本が売れているかをチェック。
新聞や電車の広告で紹介されていた話題の書籍があるかどかもみてみる。
さらに、店長お勧めがあれば、それもついでに。
それかから少し専門掛かった文春新書、講談社現代新書、光文新書あたりを見て回る。
今話題の書籍はハードカバーで値段も高く、興味はあるものの結局、文庫に落ちるまで待つかということに落ち着き、それ以外であれこれと悩んでいるうちに(1時間くらいは平気で悩み続けます)、今度にするか、と買わずに店をでることになるのです。

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 仏教の世界観では「どうでもいい事だから迷いが生じる。大切なことなら悩わずに決められる」と考えるそうです。
どこで読んだかはわすれちゃいましたが。
本当に大切なことだったら脇目も振れず「これだっ!」となるハズ、という事らしいのです。

なるほど、坊さんは上手いこと言うね、チ~ン、ってところですね。
言われてみれば確かにその通り。
しかし、これを説いた坊主は味気の無い、つまらぬ坊さんだなあ、と思うのです。
迷うからこそ面白いんじゃないですかねえ、と言いたいのです。

 ああ、迷った。
つまり、どちらでもいいということなのか。
それじゃ目をつぶって、ハイこっち。

 つまらないですね。
人間心理にとってのアキレス腱とは、こだわりとプライドである、といった人がいました。

だからこそ、損じないよう大切したい。
こだわりをもって、大いに悩むことで人間に深みが出てくるのだ。
しかし一方で、自分の優柔不断がますますエスカレートしたら嫌だなあという思いも少なからずあるのです。
レジで一度お金を払ったあとでも、「レシートさえあれば返品させてくれるのだから、そんなに悩まずに」、と自分をなだめるのですが、やっぱり決められない。
このあたりが強迫性障害チックに感じられるのです。
ちょっと執着的で粘性があるのですよ。

 福山雅治さんは、平行と直角にこだわるそうです。
ものの配置におけるこだわりなのでしょう。
福山雅治さんだから、カッコイイと感じる女性もたくさんいらっしゃるでしょう。
どことなく清潔さを感じさせもしますし、物理学の湯川教授を地で行くみたいな雰囲気がでていますね。
潔癖症すぎて結婚には向いていないなどと言われていましたが、めでたくゴールインされました。
だとすると、平行と直角へのこだわりは危険レンジまで針が振れているわけではないのでしょう。
あくまでも『こだわり』のレベルですね。

自分の話に戻りますが、金曜日のスーパーの酒売り場、本屋内の徘徊。
これが今以上に講じてくるとちょっとヤバイなあと感じるのです。
強迫観念が出てくる前に坊主に従うできなのでしょうか?
今日も20分スーパーで悩んでしまったのです。

 

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