子供を言って聞かせよ・宿題なんかとっとと片付けたほうが楽

Pocket

「小学校6年間と中学校3年間、逃げたけど、高校でつかまったちゃった」
電車の中で耳にした20代前半のサラリーマンどうしの会話。
何の事だろうと聞き耳を立てていたら、水泳のことだと判明しました。
小学校、中学校ではなんとかかんとか言い訳をつけて、泳げないまま逃げて来たけれど、高校でついに全面降伏することになったのだと。

高校の体育教師に放課後みっちりしごかれ、クロール、平、背泳を強制的に、それぞれ50m泳げるようになるまでもってこられたという話です。 義務教育で見逃していたのを、よくもまあ高校教師がやってくれましたって感じですね。 普通なら通信簿に1とか2をつけて終わりですけど、そうさせないのがこの教師のプライドだったのでしょう。 本人にとってみれば、さぞかし泣きが入ったでしょうか、結果は大正解なのです。

 

 遠い昔の学生時代を思い起こすに、「出来ません」で逃がしてくれなかった事って幾つかありました。 小学校の算数で習う【九九】から逃げることはできません。 生徒個人と先生との戦いでしたけで、クラス全員が合格するまで続きましたね。 逃がしてくれた生徒は一人もいませんでした。 先生も勝負をかけていたのでしょう。

厚紙で合格印を押す用紙を作ってきて、生徒全員に配布しました。
上から一列ごとに一の段、二の段、三の段、、、、、九の段と印刷されていて、その横に合格印を押す四角の空欄があっのでした。
一の段、二の段、五の段が簡単で最初に合格印をもらえるのです。
イヤー、懐かしい!

【九九】って小学校で教える事柄の中でも最重要項目なのでしょうね。 各クラス、担任の先生の凝った工夫がを別のクラスの友達と見せ合った盛り上がったのを記憶しています。

話は逸れますが、芸能人のおバカキャラタレントで、 九九を言えないのがたまにいます。
わざと間違えているとは思えない、リアルなバカさ加減が笑いを誘うのです。
「ハッパ、八十二」とかって。
8を10倍したって80なんだら、82になるわけないのですが、 なんとなくゴロで答えちゃう。
彼らだって絶対に一度は覚えたはずなのに、忘れてしまうのですね。

         【広告】

さらに凄いのがいます。 世界地図を広げて、【ハワイ】はどこでしょうか?っていう問い。
グラビア撮影でなどでハワイを何度か訪れているらしいのですが、とんでもないところを指さすのです。 暖かい国だから、緯度的にはそれなりに合っているのですが、
「おいおいハワイはそんなに近くないだろう、そこは台湾だよ」
「行き過ぎ、行き過ぎ、そこキューバだよ」

微笑ましいといえば、そのとおりですが、自分が撮影に行く場所くらいは覚えておかないと、とみんな考えますよね。

 

 案外その場しのぎで、最終学歴まで通り抜けちゃのが英語。 大学卒業しても、しゃべれない、聞けない、書けない、かろうじて読める程度。 興味本位で中学、高校、大学でどれくらの時間を英語の授業に費やしたかを超大まかに試算してみました。

1ヶ月を4週間とし、1週間に4日英語の授業があるとする。 つまり1週間で4時間とします。 1ヶ月で、16時間となりますね。 長期の休みを年間2ヶ月と想定し、1年を10ヶ月で計算します。 すると、1年間で英語の授業を受けるのは160時間なります。 中学、高校、大学の合計年数10年間を掛けると、なんと1600時間となるのです。

そのうち、自動翻訳機から、自動同時通訳機へと発達するでしょうから、ここらで英語の学習の優先順位を考えたらどうですか、と言いたいところ。 今はやりのコスパを考えると、とても英語の授業はコスパが悪すぎると言わざるを得ませんからね。 やりたい人、そうでない人でわけて、力の加減を考えるのがいいのでは。

 話が横道にそれてしまいました。 こんな科目勉強して何の役に立つの?って誰もが思う科目なかったですか? どの高校でもやらされる百人一首。 なんで、あれを暗記しなければならないかが、わからない。 先生に、句の意味については理解しなくてもいいのかと尋ねると、暗記だけでいいと答えるのです。

 

一安心して、暗記に取り掛かると、これが頭に入ってこない。 だいたい30句くらいで頭の容量がフルになってしまう。 それ以上覚えようとすると、前に覚えたのが押し出されてしまうよう。 30句を境に行ったり戻ったりの苦闘がはじまるのです。 ある程度、口に出してすらすら言えるようになった後で襲われるのが、上の句と下の句と不一致です。

みんな五、七、五だから、上の句と下の句が別々の句でもトーンとしては見事に合ってしまう。
ここで先生の一言を思い出すのです。 別に意味は理解しなくてもいい、と。 でも意味を理解しておかないと上と下がつながらないじゃん。 全くふざけた教科ですよ、あの古典というのは。

 つまらない、役に立たない、意味が分からないとクレームをつけたい気持ちは誰しも一緒。
そんなに難しい数式を立てて、何の役に立つの? 何百年も前の歴史を今更紐解いて覚えさせる。
それ何のため?

言いたくなる気持ちは分かるし、正直言って自分自身もそんな生徒でした。 そんな人生の先輩からのアドバイスです。 勉強から逃げようとしても無駄です。 絶対に逃げ切れないと断言はしませんが、逃げ続けるよりも、とっとと着手してしまったほうが全然楽です。

読書感想文を書けないもっともらしい理由を1時間も、2時間も考えたって、先生はどうせ別の課題をだすか、提出時期をずらすだけです。 別の宿題でも同じ。 なぜなら、先生は生徒を卒業させる義務があるからです。 一定の成績以上を取らせて、無事卒業させる。

そして、次の生徒迎える。 これが先生の仕事ですから、感想文がダメなら別の課題を確実に準備します、 それがダメから更に別の課題へとスライドしていくだけなのです。 だったら、中途半端な内容でも、とても感想文とは思えないタワゴトのような文章でも、とっとと提出してしまったほうがよっぽど楽なのです。

高校生の頃、夏目漱石の三四郎を読んで感想文を書くという宿題がでました。 書き方として、ひとりの登場人物に焦点をあてて書くという前提がついていました。クラスの半分以上が【汽車の女】に焦点を当てた感想文だったのです。 その理由は単純で、登場場面が限られていてストーリー全体に大きな影響も与えない。

感想文の主題にするにはお手軽で、コスパに優れた登場人物だったからです。 みんなこんなものですね。 書かずに逃げるより、時間を掛けずにサクッと済ませてしまうのが得策なのです。 高得点は狙えませんが、時間もエネルギーもさほどつかわないコスパに優れた作戦というわけです。

 

 

Website Pin Facebook Twitter Myspace Friendfeed Technorati del.icio.us Digg Google StumbleUpon Premium Responsive

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*